FC2ブログ

2020-01-08-政治考察-⑤-歴史に学ぶ

susa

2020-01-08-政治考察-⑤-歴史に学ぶ

1990年代の政党の離合集散

 バブル経済崩壊後、日本の政治は混迷期に突入しました。
 1993年には自由民主党を離脱した畑派(小沢一郎)が「新生党」を立ち上げたことを受け、自由民主党の議席数は過半数を割り込みました。
 と同時に新生党は各党に連立を働きかけ、各党がこれに応えたことで連立政権(細川内閣)が成立しました。
 国民は、この事態を、自由民主党の一党支配が終焉を迎えた記念すべき瞬間だと歓喜の声で歓迎しました。
 多くの日本国民は「これでこの国は生まれ変われる」と確信していました。


読み上げ動画をYoutubeにアップロードしましたので、なにか作業をしながら聴いてやろう、という方がいましたら、ご利用ください。

 しかし、熱狂は長くは続かず、細川政権は政治資金スキャンダル(首相の佐川急便からの政治資金の借り入れや、閣僚の「オレンジ共済」問題)から、1年に満たない短命政権に終わりました。また、後継となった羽田内閣も、更に短い超短命政権に終わり、国民の期待は急速に萎んでゆきました。
 連立政権が急速に壊れていった背景にあったのは、「内部権力闘争」でした。
 羽田内閣の発足直後、社会党、新党さきがけを除く連立各党は、与党内での発言力を強める為、統一会派を結成し、これは後に「新進党」となりました。
 与党第二党に転落し発言力が低下した社会党は、当然、この動きに不快感を禁じ得ず、与党内に亀裂が生じたのです。

 国民の、早くこの国を立て直して欲しいという想いを他所に、政界は、単なる「権力争奪戦劇場」と化してしまったのです。

 そうして、連立政権に対する風当たりは逆風に変わりました。

 自民党が提出した内閣不信任案を否決することが出来ない程に弱体化した羽田内閣・連立政権は、解散総選挙か内閣総辞職という二択の内、内閣総辞職を選択肢。その一方で自民、社民、さきがけの三党による連立が成立し、この三党が新しい与党となって、村山内閣が発足したのです。
 そして、政治はその後も混乱が収まらず、離合集散が繰り返され続け、今日に至ります。

 以上は、今から四半世紀も昔の出来事ではありますが、今考えても理解しがたい異常な事態であったと言えるでしょう。
 熱に浮かされた果てに生じた一種の狂気の類です。
 
  そして、この時の狂気、混迷は、今に至るまで影響を及ぼしているのです。
 愚かしいことではありますが、「数合わせ政治の末路」が如何につまらないものであるか、という意味において、最高の「教材」といえるかもしれません。
「権力の座につく事が目的になってしまうと、権力の座を得る為に、なんでもありの無法地帯と化してしまい、政治本来の役割が果たされなくなる」のです。

 かつて「世界で最も成功した社会主義国家」と言われ、必ずしも十分ではなかったにせよ、それなりに国民を大切に扱っていたこの国は、急速に「新自由主義経済」の側に引き寄せられ、「経済」の名の下に人々の人生が押しつぶされて行く、不毛な国に、国民を全く顧みない国に変貌してしまいました。

 ただし。
 
  今述べた事態の渦中に居た人々を、非難し蔑むだけの資格が果たして国民にあるかどうかは疑問です。
 一つには、それでも確かに、政治は「国民の期待」を受けて動いていたという事が上げられます。
 それまでの政治が、汚職やスキャンダルによって腐敗しきっていたのは事実なのです。
 問題は、その「汚れ」を「数合わせ」で洗い流すことが出来なかったどころか、むしろ、「数合わせ」それそのものが「腐敗政治の温床」と化してしまったのです。

 また。
 バブル崩壊の処理の為に新自由主義経済の推進や緊縮政策をやることは愚かだ、等というのは、後知恵に過ぎません。
 ですから、客観的には、我々には彼等を無能呼ばわりする権利もないのでしょう。
 
 ですが。
 それでもやはり、当時の政治家の離合集散劇は余りにも「無節操」に過ぎます。
 目先の利益だけを追い求めた結果、全てを無駄にしてしまったように見えます。

 私は、政治家に必須の資質の一つに、「大局を見る目」があげられると思うのですが、日本の政界には、その大局観を持って居る人が少ないか、あるいは、政界そのものが、個々の政治家の資質を封じてしまうような環境になってしまっているのだと思います。

 しかし。
 それがいずれであるにせよ、いまなお、「離合集散を繰り返すべきだ」と主張する人が居るとしたら、その方は不勉強だと言わざる終えません。

 もちろん、主張する方は「それで世の中が良くなる」と考えて発言をしているのでしょうが、過去にこのような事例があるのですから、その点はきちんと踏まえて欲しいものです。

 政権を獲った後に仲間割れを初めてしまうような人々に政権を獲らせて、いったい何になるのでしょう?
 政権を獲った後に仲間割れを初めなければならないような状況に、わざわざ誘導して、いったい何をしたいのでしょう?

 少なくとも、一般国民にとっては、貴重な時間と労力の浪費でしかありません。


 政治は、政権を獲った後に何を為すべきかという明確なビジョンを持っている集団にこそ託されるべきものです。
「そんな事は、政権を獲った後に決めればいい」という主張は、
「国民は白紙委任状を与えよ。そして、成立した独裁政治を受け入れよ」と言っているに等しいということを自覚すべきです。

 現在。
 我々には大きく3つの選択肢があるように思われます。

1つ目は、自公連立政権を選択し、このまま「新自由主義の道を突き進む」という皆殺し政治への道。
2つ目は、立憲民主党を中心とした野党連合という「数合わせの野合」を肯定し、その後に訪れる「なにも解決出来ない不安定な状況」に向かう見殺し政治への道。
3つ目は、れいわ新選組の山本太郎氏が主張しているような、「政策で纏まり、国会の論戦を経て支持を拡大させて政権をとり、ひとまずは誰もが不安無く暮らせる状況まで引き返す」という道。

これらの勢力が目指し居てる政策は、互いに相容れないものです。
方向性が異なるものを束ねても、それは自らの良さを殺すだけになります。
政治の良さを殺すということは、「良いところのない政治」になるということです。

料理を考えてみて下さい。
混ぜれば、美味しくなりますか?

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply