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神憑りのお話ーー65

susa

神憑りのお話ーー65


 回数、間違ってたらゴメンナサイ。

 最近になって、「政治経済」のジャンルに移ってきたので、こんな話が出てきたら面食らってしまうかもしれませんが、オカルト的なお話です。

 2013年の暮れ、いわゆる「霊現象
」ってやつの凄いのが始まっりました。それこそ、尋常じゃない奴で、神様が残したというその筋では有名な文章の中に潜ませてあった暗号を見つけて、それを解読したのが、そのきっかけになりました。

 その結果。
「神様」がドーッと出てきたようなんですが。
 私の頭は、相当におかしくなりました。知識(記憶)は全く問題ないんですが、「感情」が凄いことになりました。
 一旦、リセットされてしまった、みたいな。
 当時は精神年齢が2歳ぐらいまで落っこちてたんじゃないかな?
 ネズミ捕りの粘着テープに捕まっちゃったネズミとか、虫とかの供養したり、何年も放置した状態の飲みかけのペットボトルのお茶なんかを、「酷いことをしてしまった」とか思って、泣きながら流しに捨てたりしてました。
 鳥とかとお話が出来ましたし、一時は魔法みたいな明らかに尋常ではないことも起きました。

 2014年も、霊現象の規模は尋常ではありませんでした。
 日常の中に潜む「数字の秘密」を少しずつ理解していったのは、この年からですね。
 よく、合計すると666になるから、これはイルミナティーの陰謀だ、みたいな遊び(?)がありますが、本当の秘密ってのは、そんなお遊びの比ではないです。
 きっかけは、夕暮れ時に自分の車の前を走っていた車のナンバープレートを、「259(じごく)」とか読めちゃったのがきっかけだったと思います。
 以降、道を行き交う殆どの車のナンバーが、怖い言葉に読めちゃうようになったんですよ。
 それと同時に、世界そのものが猛烈に恐ろしく感じられるようになりました。
 防衛手段として、私は私で、必死になって、「数字」を研究し始めました。

 その一方で、ネズミとか虫とかを供養するのは流石にやり過ぎだったのでは?
 と思うようになりました。
 また、入れ替わるような形で今度はイルミナティーとか、フリーメーソンの「陰謀」みたいな事を考えるようになりました。
 この頃の精神年齢的には、6歳ぐらいだったのかな?
 ものすごく純真だったといえば、純真でした。

 2015年。霊現象は若干穏やかになって、恐怖心もだいぶ治まってきました。
「数字の研究」みたいなものは、一段落しました。
「4」という数字を「シ」とか「ヨ」とか読んでしまうと、数字から出来上がる文章がとても恐ろしい物になりやすいことに気が付きました。でも、(このルールでは)新たに「ス」「ラ」などと読んで良いことを発見し、他の数字も読める幅を拡大していくことで、だんだん、数字から出来上がる文章の幅が拡大してゆき、それによって、世の中の見え方がまた変わってゆきました。
 精神年齢的には、この時は10歳ぐらい。
 1年で4歳ずつ、増えているようなペースです。
 また、自分が置かれている状況に、「抵抗しても無駄だ」ってほぼ観念しました。
 思いついた様々なことを試したのですが、ことごとく、敗れてしまったからです。
 また、今度はイルミナティーとかフリーメーソンとかがバカバカしく思えてきました。

 2016年の春からは、これまで書いてきたような「いきもの憑り」と「太陽さん」の事件がおこりました。
 この頃、精神年齢的には14歳ぐらいだったんじゃないかな? 状況に、恋愛的な要素も絡んできたし。

 2017年は、塞ぎこんでいた期間が長いです。
(思春期にありがちなこと?)
 精神年齢18歳ぐらいかな?
 霊現象は、かなり穏やかになりました。

 2018年も、傾向的に2017年に似ていますが、より深く考えるようになりました。精神年齢は22歳ぐらいにはなったのかな?
 霊現象を感じることは、時々はありましたが、意識することはほぼ無くなりました。

 過去の自分が書き留めた文章なんかを見ると、「うわぁ、恥ずかしいなぁ」と思います。
 ですが、自分がどうしてそういう風な思考にとらわれてしまったのか、その経緯を朧げにせよ、覚えているので、
「だって、あの時はああなるしかなかったじゃん」と、納得はしています。
  というか。
「ガキなんて、そんなもんだろ」
  って感じです。

 不幸っていうのは、「ショートレンジで観たら悲劇でも、ロングレンジで観たら喜劇」なんでしたっけ?
 ショートレンジでみたら、ただのバカなんだけど、ロングレンジで観たら、結構深い意味のある時期を過ごしていたんだと思います。
 幼少期のやり直し。みたいな。

 失ったものばかりで、得たものはホンの極わずかしかありません。
 ですが、「複数の視点」から物事を捉えられるようになったのは、きっと幸運なのでしょう。

 先に上げた話だと、「虫やネズミの死について、可哀想だと嘆き悲しむ」のと「仕方がない」と割り切る気持ち。
 どちらも併せ持っていないと、この世の中はシンドイってことです。
 前者だけだと、ものすごく極端な社会になりますし、後者だけだと、「社会」が壊れてゆきます。

 これと同じような話が、「サヨク」と「ウヨク」の思考にも当てはまります。
「左」的な考え方だけでは、世の中は、逆にとても窮屈になります。
 これまであった共産主義国家が罠に落ちったことからも判るように、建前が、逆に、人々の首を締めてゆくことになるからです。ですが、一度確立されてしまった「正義」は、なかなか方向転換できません。
 その結果、社会は硬直化してしまいます。
「右」は「右」で、おそろしい危険をはらんでいます。
(軍事や国粋主義が)行き詰まりを迎えた時、その解決方法を「外国を打ち負かす」ことと「国内に存在する価値観の違う人々の一掃」で行おうとするからです。
(行き詰まりを迎えた時、国内の価値観を統一しようとするのは「左」も同じです。というか、これに関しては左のほうが過激になります)
 その結果、「右」にせよ「左」にせよ、単一の思想が支配する世界が出来上がってしまうと、社会の自由度は急速に失われてゆきます。

 右にも、左にも、あるいは、上へも下へも、ある程度自由に動ける状況が確保できた時、初めて、状況を上手に切り抜けてゆくことが出来る柔軟性を確保できるのだと思います。

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Posted bysusa

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