FC2ブログ

いきもの憑りのお話ーー59

susa

いきもの憑りのお話ーー59

   テントウムシ
テントウムシ
 愛らしい姿、成虫も幼虫も害虫であるアブラムシを食べる益虫、ということで、虫は苦手という人からも愛される(許容される)ナナホシテントウは身近な昆虫の代表格。(テントウムシの仲間の中には、植物を食い荒らす害虫もいる)。成虫は越冬によって冬を乗り越えるが、その際にはできるだけ暖かいところに潜り込むという性質がある。そのため、しばしば、屋外に設置された機械類の隙間に入り込んでしまい、脱出することができなくなって大量の死骸として発見されることが珍しくない。なお、テントウムシの中では大型なカメノコテントウは肉食でしばしば人間の皮膚を食べようとして噛みつく事があり、そうなった場合、重大な怪我や病気に至ることはまず無いが、噛まれたことによって出血程度の怪我を負う。なお、歌手グループ「チェリッシュ」が1973年に発表した「テントウムシのサンバ」は、大ヒットしてレコードの売上は40万枚を記録した。ということでこの小さなテントウムシという生物は、歌の世界ではカブトムシを凌ぐ存在である。

 この記事は、いきもの憑りのお話ーー58》の続きです

 間にクリスマスやお正月を挟んだこともあって、ずいぶんと間が開いてしまいましたが、「太陽さん」絡みの話しにもどります。
 2011年に東北大震災をきっかけに仕事がとんでもなく忙しくなったと思ったら、今度は一転して「大きな生産拠点が中国に出来た」とか言うことで、仕事が薄くなって、リストラが始まったのですが、そのやり方が単なる嫌がらせみたいなもので、当初、私は対象者ではなかったのですが、会社に「やり方がえげつなすぎる」みたいな抗議をしていたら、矛先が私の方に向かってきました。
 それで、心身共にすり減って、この問題に決着が着いたのが2013年。
 その間、「太陽さん」とは数える程しか顔を合わせていませんし、大して会話もしてません。
 いろいろと話しをしたくて、機会を伺っていたのですが、とうとう、そういう機会が得られぬまま、「太陽さん」は、ふっと居なくなってしまいました。

 この時の私の感想は、
「そうだよなぁ。こんなんじゃ、愛想を尽かされるよなぁ……」

 最初は、十分脈はあったと思います。
「太陽さん」の立場としても、一人よりは自分を支えてくれるような相手が側に居てくれた方が嬉しいと思っていたと思うし、その相手が私でいいと思っていてくれたと思います。
 ただ。すれ違い――というか、もっと露骨な「妨害」みたいなものが山のように存在していて、私の立場からすれば、「これ、全部処理しなきゃ」みたいなことになっていまして。
 家族にしろ、会社にしろ、社会にしろ、私から視たら、「お前等全員、《他人の恋路を邪魔するヤツだから馬に蹴られて死んじまえ》」みたいに思えたりもしていたのですが、流石に当時は、「世界が自分を中心に回っている」みたいな発想はなかったので、「なんでこんな巡り合わせの下に産まれてきてしまったのだろう?」「何処かを上手く対処出来れば、この泥沼から抜け出せるのかな?」「世の中が良くなれば、この状況も変化するかな?」程度の認識でした。

 その間に、政治の世界では政権与党が民主党から自民党(自公連立政権)に移ったのですが、良くなるどころか状況の悪化は更に加速していって、「いったい、何が起きているんだ、これ? どうしたら、こんなデタラメが罷り通るんだ?」「国民も、なんでこんな嘘をついて政権を奪取した自民党を支持するんだ? 野党のときに言ってたことと、真逆の事をやり始めたじゃないか」とか思って。

 なにからなにまで、私には、理解出来ない有様でした。

 そんな当時の勤め先を辞める際、なんだかんだあって、少し纏まったお金が手に入りました。
 このお金は、後に「旅費」として綺麗に消えてなくなることとなります。
(基本的に貧乏人の私が、《51=来い》の一件によって何度もあちこち飛び回れたのは、そういう理由からです)

 そして。
 霊でも神でも悪魔でも統合失調症でも好きに解釈すれば良いんだけど、2014年の12月3日。私的には「人生最大の大転換点」となり、以後、論理的に解釈することが困難な、超常事件に巻き込まれることとなりました。

 ですが。
 この「超常事件」の数々も、よくよく観察すると、どうやら多分にメッセージ性が含まれていて、それはまるで、「この世界は、本当はこういうものなんだよ」とでも私に訴えているようでした。

 そのメッセージというのが、「言葉遊び(ダジャレ)」。

 例えば。
 2013年に事件の始まりを告げたのは、パソコンモニターの電源のON・OFF。つまり、LEDの点灯でした。
 2014年だったか2015年だったかの晩秋には、借りている山の中の畑で作業をしていたら、テントウムシが車のドアの隙間にびっしりと入り込んで居るというちょっと衝撃的な一件がありました。(この頃は、鳥と頻繁に話をしていて、山の中の畑は、「鳥と話をする重要ポイントのひとつ」になっていました)
 そして、「太陽さん」とばったりと出くわしたのが2016年。
「太陽」の別名は「御天道」。

 点灯。テントウ。天道。
 ぜんぶ、「てんとう」。

 なんなんだ、これ?
 こんな現象が、「自然現象」として起こるなんて、あり得ない。

 しかもね。
 日月神示ってのは、「0」の中に「てん(レ点)」を入れなさいって言っているのです。その上で、岩戸(一〇十)を開け。
窓(〇十)を開けろ。と。
 ということは、この〇十も、やっぱり「てんとう」。

 0に「てん」が入ってて、十は「とう」って読めるんだから。「てん」と「とう」を合わせると「てんとう」。

 う~ん。
 この状況を合理的に解釈する為には、《誰かが意図的に、「語呂合わせ」をやっている》という前提に立つ以外にないんだよね。偶然では、こんな事は起こらない。

 ってことは、この世界は、「誰かが作った箱庭」みたいなもので、私たちはその「誰か」によって“弄ばれている”、というか、“導かれている”、というか、“操作されている”、というか――そういう風に考える事が、むしろ自然になってくるね。

 つまり。
 この世界には――呼び名は何でもいいのだけれど、「超常の存在が居る」ってことになる。

「太陽さん」に再会した頃も、そのことは、常に念頭にありました。
 なんか、不自然なことが起こるなぁ……。
 ふつう、こんなタイミングで会うか? 今まで、全く顔を合わせなかったのに……
 みたいな。
 そもそも、「黄泉路巡り」の終盤局面に差し掛かった頃、突然、「太陽さん」が現れたタイミングからして、演出的に、これ以上のものはない、というものでしたし。

つづく

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply