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神憑りのお話ーー64

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神憑りのお話ーー64
アセンション  
アセンション(イメージ) 日本語では「次元上昇」と訳される、個々の人間の魂の進化。アセンションをすると、それまでよりも高い次元で生きられるようになり、苦痛などから開放される。らしい。「次元上昇」なんてしたことがないから、私にはわからん。いや。神憑りならしっているけど、これと同じ事を言っているんなら「全然いいもんじゃねぇ」よ。ってか頭痛や耳鳴りが凄いのよ、これ。

 この記事は
、《
神憑りのお話ーー63》の続きです。

 アセンションという言葉や概念を私が知ったのは2013年の事でした。かつて程、アセンションを意識している人はいないのでしょうが、今でも、ゼロにはなっていないのでしょう。
 世の中があまりにもひどすぎるので、そこに救いを見出す人が、いなくなるとは思えません。
 魂の浄化。次元上昇。
 それは確かに、とても素晴らしい事のように、感じられます。
 だけど。
 この世界で生きてゆく限り、「社会の連立方程式」については、意識し続けなければならないんですよ。
 魂のことだけ考えていれば良いのは、魂だけの世界の住人になった時です。
 この世で生きている間は、この世の理から逃れることは出来ません。そして、この世の理の中で、かなり大きな比重を占めているのが「政治」です。

 神様に感謝するとか。悪い感情を抱かないとか。
 そういう方法で、自分の精神状態を好転させることを、悪いとは言いません。ただ、それだけではダメです。
(ってか。大半のアセンションの実体は、『自分が教祖であり、唯一の信者という「一人宗教」』なんじゃないかと思います)

 その結果、どれだけ自分の世界観に「酔う」事が出来たとしても、やはり、現実世界で生きているという事実は、微塵も変わらないのです。
 アセンション減税なんて制度はありません。
 アセンション支給金なんてものもありません。
 ですから、現実世界を変える為には、「神様が何とかしてくれる――」
「アセンションすれば解決する――」ではなくて、現実世界で政治に参加する必要があるのです。

 ところが。
 アセンションに走ってしまった人は、どうも、「政治」という問題から、目を逸らしてしまう傾向が強いように感じます。

 欲しいモノがあったら、「引き寄せの法則」ではなくて、「おかしな政治を改める」「政治の暴走を食い止める」という行為が必要なのです。
 そして。
 そうすれば、アセンションの有無に関わらず、世の中全体は「良い方向」に向かってゆきます。

○アセンションによる自己の鍛錬
○政治の改善

 この二つをセットにしなければ、どんなに心の中を磨いたところで、この世界は何時までも息苦しいままなのです。

 似たような話で、長いこと日本人が陥いってしまっていた罠が、「世の中を良くする為には、無駄を削減すればいい」という発想です。

「無駄」とは、いったい何でしょう?
 前回、ブラック企業について少し触れました。ブラック企業は、従業員の賃金を極限まで削ったり、原材料をけちったりして、徹底的に「無駄」を削減しています。
 では、このような姿は「誰もが幸福に生きられる、素晴らしい世界」に相応しいでしょうか?
 単純に、「自分の我が儘を他人に押し付けているだけ」ではないでしょうか?
「自分のわがままを他人に押し付ける」という行為が、「アセンション」によって自分の魂を磨いた人間が行うに相応しい行為でしょうか?
 あるいは、そんな発想が「すべての人々にとって生きやすい社会」を実現させる事が出来るでしょうか?

 ブラック企業や外国人実習生を酷使する業者は、確かに、安い製品を市場に供給しています。
 そのような安い製品を購入するようにすれば、確かに、「出費」は抑えられます。

 ならば。
 社会は、労働者を非人間的な安い賃金で働かせる事を目指すべきなのでしょうか?
「無駄をなくす」というのは、そういう事ですよ。

 いえいえ。まさか。
 そんな解答があり得るはずがありませんよね?
 そんなのは、何時の時代の奴隷制度ですか?、って話です。

「商品は安ければ安い程いい」というのは、「自分を中心に考えた時」の視点です。
 その商品を供給する側としては、「適正な価格」で売れることが「良い」になります。
 立場によって、良し悪しは全く異なります。生産者に、「原価ギリギリで提供しろ」というのは、「お前は人間らしい生活を送るな」、と言っているのと同じです。
 生産者が人間らしい生活を送れる収入を得るためには、商品価格はある程度高くせざるおえません。
「無駄をなくす=正義」という図式は、社会全体から観ると、全く成り立たないのです。これが正義だと思えるのは、あくまでも「消費者」という視点から社会を観た場合のみです。
 社会とは、大勢の人々が互いに寄り添って生きる為の場である為に、上のようなことが理解出来ると、安易に「商品の値段をもっと下げろ」などとは言えなくなります。

 ところが。
 日本の政治は、「自由民主党」vs「野党」という構図が、ずっと長いこと続いてきました。
 自由民主党は「人件費を下げる」事に最大の力を注いできました。
 では、これに対抗する野党が自らの正当性を何処に据えたかというと――「商品価格を引き下げる」でした。
 要するに「自分達は消費者なのだから、物の値段が安ければ安い程、政治は上手くいっているのだ」という発想です。
 要するに「企業(自民党)」vs「消費者(野党)」という対立構図です。
 このようになってしまうと、野党側は「消費者政党」と化してしまいます。その結果、米であろうが野菜であろうが、「際限なく値段を下げろ」という主張を掲げることが正義となってしまいます。そうなると、商品が安いという状況を維持する為なら、「デフレ」もOKだし、「人件費の引き下げ」もOKだし、「外国人実習生という事実上の奴隷制度」もOKという事になります。また、この人達は、デフレを歓迎しているので、デフレを引き起こす最大要因である「消費税」を、表向きでは否定するものの、実際には容認します。
 また、「企業」VS「消費者」という構図は、「外国人への厚遇」という流れも作ってしまいました。日本人を無視して、外国人をやたらと持ち上げる構図です。
 そして、これは与野党ともに、実は望んでいることでした。現在の日本の巨大企業の株主も、多くが外国人だからです。

 完全に、「企業」VS「消費者」という構造が誤りなのですね。
 実際には、「資本家」VS「非資本家」という構造なのに、「企業」VS「消費者」という形にすり替えて、政治の実体を把握することを困難なものにしてしまっているのです。

 ですが。
 万年野党で、「自民党が憎い」だけで政治を理解してきた人達にとっては、そこのところが全く理解出来ません。
 そういう人は、いつまでも、「全ての企業は悪であるのだから、もっと叩いて商品化価格を引き下げさせるべきだ。商品は安ければ安い程素晴らしい」「デフレは心地良い」「国内製品よりも外国製品の方が安いのならば、積極的に輸入すべきだ」「公共投資なんて無い方が良いんだ」といった、とんでもない主張を掲げることとなりますし、実際に、日本の「野党支持者」の多くは、まさにその様に振る舞ってきました。

 でも。
 その先にある未来は、どんなものですか?

「自分中心主義」の行き着く果てには、何が待っていますか?
 周りの人々が、傷ついてボロボロになり、日本という国が傾いて倒れるだけではないですか?


「日本という国」と「日本政府」は、必ずしもイコールではないことに注意して下さい。
「日本政府」は、日本人が絶滅しても、日本という国土を管理するシステムとして、生き残ることが可能です。国民を完全に無視して、外国から大量に人間を移住させるなどしても、このシステムは回り続けることが可能です。
 同様に、「日本政府」が無くなったとしても、日本という国は存続することも理解して下さい。
 両者は、運転手と自動車のような関係です。
 運転手は、車を乗り換えることが出来ますし、車は、別の運転手に交代させることが出来ます。

つづく

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Posted bysusa

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