FC2ブログ

いきもの憑りのお話ーー39

susa

いきもの憑りのお話ーー39

サイレントマジョリティー「サイレントマジョリティー」 アイドルグループ欅坂46のデビューアルバム 以前、(やまぐちりこ/中西里奈)さんの話題に触れた時書いたのですが、一人も知りません。ごめんなさい。AKBもグループ名以外知りません。申し訳ありません。だけど、ひとこと言わせてください。世の中を支配しているのは、断じて大人じゃありません!!(子どもという意味でもない) 大人/子供という軸じゃありません。支配権=権力なので、支配者=権力を持っている者達、です。大人の99.9%は、支配される側の存在です。


 この記事は、《いきもの憑りのお話ーー38》の続きです
 イエスとは、承認すること。
 ノーとは、拒絶すること。
 私たち日本人には、神に関連する、「イエス」と「ノー」の両方の物語を知っています。
 神の全てを受け入れる、という姿勢を貫いて、神の国へ召された受諾者=イエス・キリスト。
 その物語。
 神の全てを拒絶する、という狼藉を働いて、神の国から追放された拒絶者=スサノオ(ノォ=ノー)。
 そんな、ふたつの物語。
 イエスとノー。
 イエスと、スサノオ。
 表裏一体。
 両者の間に、奇妙な鏡面関係が成り立っていることに気がついた瞬間、背筋に冷たいものが走る人も居るのではないかと思う。
 神の国に召される物語り。別にそれはそれで良い。
 神の国から追放される物語。それもそれで、構わない。
 けれど、それぞれの主人公の名前が、「Yes」と「No」という、絶妙な関係にあることに対しては、ぜひとも、違和感を感じるべきだ。
 余りにも、「出来過ぎ」ている。
 この世界には、「裏」がある。
 そして。
「すさ」と「私」。

 ノー(拒絶)は失って、しかし、イエス(受け入れること)をすることも出来なくて、ただただ、状況にされるがままに漂流する、「すさ」と「私」。
 けれど。
 確かに「すさ」は、「Yes」でも「No」でもないのだけれど、だからといって「人畜無害」というわけではありませんでした。
 私の立場からすると、「すさ」は欲求を尽く、私に押し付けて来ていたわけでして。
「全てのとばっちりを受けているのは私」だと、私は感じていたのです。ですから、当然、私は自分の置かれた状況が大嫌いだったのです。

「太陽さん事件」の頃は、この「サイレントマジョリティー」という曲も、頻繁に流されていました。
 アイドルグループが歌う曲としては、余りにも角がありすぎて、違和感を強く感じたのだけれど。「Yes」がどうとか、「No」がどうとか。
 オマケに「脳みそ」の事まで、真剣に考えさせられました。
 そしてこの曲も、「なんだか、私の為に作られた曲みたいだなぁ……」とか、思った曲のうちの一つです。

 まぁ、この話しも、ひとまず横に置いておきます。

 私は、自分の体験した出来事を、「話し」として纏め始めました。
 連絡先なんて聴いていなかったし、何処に行けば会えるのか、なんて事も判らなかったけれど。とにかく、「話しの束」を作り始めました。
 そして、思っていた以上に、「他人には話せない事」が多い事に気づきました。
 いいえ。この時になって、ようやく気がついたわけではなくて、そんなことは、遠の昔に知っていたのです。何度も伝えようと試みて、けれど諸般の事情から、上手く出来なかったのです。そして結局、私は「話すこと」を諦めた来たのです。
 なにしろ、私が話したいことは「実体験」。実在する人々が多数絡んでいるうえ、私自身も、余りにも恥ずかしい、愚かなことを数多くしでかしてきた。せっかく静まっているそれらを、蒸し返すことは、当然ながら、本意ではありませんでした。
 けれども。この時は、「今度こそ」と、書くことを再開しました。

 この時は、それまでとは決定的に異なる要素が含まれていました。
 これまでは私が体験した「不可思議」の起点として掘り下げる過去は、せいぜい「チャンネル桜」に絡んでいた頃までだでしたが、話す相手が彼女=太陽さんという存在に限定されると、彼女と出会った頃からか、あるいは、それよりもっと前になるのです。
 そうなると、様々なことのもつ意味合いが、多少ではあるが変わってしまう。

 それで、また、思案するのです。
(もしかしたら、この方が書きやすいのかな?)
 と、多少は期待をしながら、筆を進める。

 損得勘定だけで考えたら、体験した事を、「切り貼り」して、別の誰かを主人公として仕立て上げて、「架空の物語」をでっち上げた方が、効率が良いのでしょう。たとえ自分の実体験がベースでも、恥ずかしさは確実に和らぎますし。
 作家や、漫画家になりたいのなら、そうするべきだし、もうもそうなら、自分の体験した事が、途端に「素晴らしい宝の山」という認識に変わって、幸福な気持ちになれるのかもしれません。

 文才があれば。
 そして。
 私に、「体験した事の意味。重さを放り出す」いい意味、悪い意味、両方の「無責任さ」が備わっていれば。

 何故ならば。
 フィクションにしてしまった瞬間から、私が体験した事の価値は、ダイヤモンドから、ただのガラス細工に変質してしまうからです。
 フィクションの世界なら、「神様」だろうが、「宇宙人」だろうが、掃いて捨てる程存在しています。
 そこに、私が改めて「神」や「霊的体験」を追加することに、大きな意義があるようには思えないのです。
 いや、とびきり凄い、奇想天外な物語を考えついたなら、そうするべきでしょうが。
 それは勿論、書いたモノをお金に換金出来れば、懐は温かくなるかもしれないけれど。

 だけど、その代わり、そうしてしまったが最後、今度は、私が何を語っても、もはや、私の言葉は、他者を動かす力をなくしてしまうのです。
 私は、知っています。
 どんな感動的な小説であっても、読み手は、ページを閉じた瞬間に、「違う世界の作り話」と処理をして、いつもの日常に戻ってゆく。
 ということを。
 言葉が力を持つのは、真実を語った時だけです。
 悲劇のヒロインの為に涙を流し、「あんなに悪い奴は居ない」と憤った、その人間が、「あんなに悪い奴は居ない」と感じた悪役と、全く同じ事するのが、この世界では、珍しくもなんともないのです。
 何故ならば、物語の世界は、架空の世界だから。
 架空の世界のお話は、読み手の「現実に対する認識」を、変化させることはありません。
 小さな子供が作り話に影響を受けるのは、現実との区分が曖昧だからです。

 逆に、「あぁ。この世界は、本当はこういう仕組みになっていたのか!!」と、感銘を受けた時は、人は割と容易に変化します。
 良くあるのは、損得に関する情報を得た時。
「○○」は、実はとても身体に悪い。
 という情報を、何処かで仕入れた瞬間に、その○○を拒絶する生活を始める人は、決して少なくありません。
 それは、「現実に対する認識」が変化したからです。

 ところが。
 架空の世界の出来事だと、どれだけ胸を打たれても、「所詮は作り話」で、終わってしまうのです。主人公が、どれだけボロボロになっても、立ち上がって目的をやり遂げても。悪を滅ぼしても。人類すべてを幸福に導いても。王子様とお姫様が、いつ迄も幸せに暮らしたとしても。
 それは確かに、素晴らしいけれど。
 そんなものは、現実ではない。
 読み手が、そう考えた瞬間、魔法は解けてしまうのです。
 傷だらけになって、激痛に打ちのめされて、それでも歯を食いしばって立ち上がった、「主人公」は、実際には存在しない。
 そう認識した瞬間に、全てが霧散するのです。

 そして。一応、断っておきますが。
 私が書いていることは、「実体験」ですよ。これまでに、「実弾」も沢山放って来たはずです。
 たった今だって、「世界中が、何年にもわたって『解けない』って騒いでいた暗号を、解いて見せたばかり」です。
 このブログで、実際に記事にしているし、言葉で説明するよりも、実際に診て貰った方が判りやすいから、Youtubeに動画もアップロードしてあります。

 こんな風に都合よく、「世界中の人が解けなかった謎を、私が簡単に解きました」なんて、起こるわけ無いのです。
 起こるわけがないことが、起こっているなら。
「この世界って、何かある」って、事なのです。

「この世界は、今まで自分が考えていたようなものじゃない」と感じてもらえる可能性がある、ということです。
 その人が「変質する可能性」があるということ。あったということです。
「フィクション」には、そういう力はないのです。
 だから、自分の体験を、「切った」「張った」「ねじ曲げた」をして、作り変えてしまいたくないのです。
 だから、自分が体験した事に関しては、嘘を交えず、恥を忍んで、話しをしているのです。

 いや。
 信じて貰えているかどうかは判らないけど、「神懸かった」とか、「山のような霊体験をした」とか、全部、本当のことなんですよ。

「YESでいいのか? サイレントマジョリーィー」
 街で、ちょっとお店に入ったりすると、歌の一節が聞こえて来ました。

(いやいや。俺、スサノオだから、どっちかっていうと、Noの方なんじゃないかな? この世界、嫌いだし。だけど、能なしだから、Noってわけでもないのかな? だけど、もちろん、Yes=救世主にはなり損ねたし。俺って、一体、何なんだろう?

「僕らは何の為に産まれてきたのか?」

そんなの、コッチが教えて貰いたいよ)

キミはキミらしく、生きてゆく自由があるんだ

嘘付け、この野郎。俺がやろうとすること、全て。物凄い力によって、尽く邪魔されてきたぞ。現実というのを、解っていないようだな、小娘共。教えてやろう。神は居るんだ。悪魔かもしれんけど。まぁ、なんか居るんだ。おっかないのが

 そういえば。
 この歌が聞こえてくるたびに、当時は、そんな風なことを考えていたように思う。

 つづく

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply