経済の秘密
経済の秘密
タイトルの通り、経済について、書くわけですが、この記事の中に、小難しい計算式や難解なグラフは出てきません。
理屈は、ものすごく簡単です。
しかし、「経済」を語っている学者、評論家、政治家の、誰独りとして触れていない、一番大切なポイントを、書いています。
「一般人には伏せられていた、しかし、小学生でも理解できる、経済の秘密」です。
これを知ってしまうと、あなたの価値観、世界観が一変するかも知れません。
「土地バブル崩壊」以降、日本経済、および日本社会は、「異常」が常態化してしまった感があります。
経済成長率は一貫して世界最低水準。
20年前、完全に格下として見下していた中国が、現在では経済規模で日本の2倍になってしまいました。このままでは、経済規模は10倍まで行く、という声も上がっています。そしてそのときの軍事力格差は、20倍を超えるという意見もあります。
そこまで差が開いてしまうと、もはや、「絶対に勝てない」水準です。
なぜ、日本経済はこれ程までに低迷しているのでしょうか?
世界で一番、判りやすい説明をします。
「国民国家」の役割は、「国民の命、財産を守る事」です。
ですが、「国家」が「国民国家」であらねばならない理由は、どこにもありません。
現に、昔は「立憲君主制国家」とか、「絶対王政」とかいう国家モデルが当たり前で、現在のような「国民国家」は殆ど存在しませんでした。
広大な土地を所有する「領主様」がいて、その領地に暮らす人々は、「領主様の所有物」。下々には人権なんてものは無く、家畜と変わらない所有物、なんていう世界が、当たり前でした。
明治時代以降、太平洋戦争以前の日本は、現代よりも更に極端な格差社会で、東北では飢饉の際に大量の餓死者が出て、しかし、政府はそれを放置した為、人々が「娘を売って」、何とか食いつないだ、というような事さえありました。
この様な事が青年将校達の心を駆り立て、「226事件」のようなクーデター騒ぎも起こりました。
太平洋戦争におけるアメリカへの惨敗によって、日本の経済基盤は徹底的に粉砕され、終戦後の政策によって財閥も解体されてしまいましたが、その一方で、格差が縮小し、「一億総中流」という、近代政治にとって最も好ましい状況が訪れたことも、確かです。
さて。
なぜ、バブル崩壊以降、この国がおかしくなってしまったのか?
その前に。
理解して欲しいことがあります。
「官僚の頭脳は、極めて優秀である」
「政治家も、一般の人々よりも遙かに頭がよい」
もちろん、選挙で選ばれる政治家の中にはテレビタレントやスポーツ界から、「人気」だけで乗り込んできた方もいるでしょう。
しかし、それでも、政治家は一般国民よりは、総じて頭が良いはずです。
「国民の知らない事を、彼等は知っている」
その、「相手が知らない事を知っている」という事が、既に大きなアドバンテージになっているのです。
経済評論家の三橋貴明氏等は、たびたび、「経済学者は世界で最も頭が悪い」と言っていますが、それも間違いです。
「頭が悪い」のではなく、「一般国民とは、価値観が異なる」のです。
そして、その価値観、理想とする未来は、「一般国民の描く理想の未来」とは掛け離れたものです。そのため、それを「口」にすると、国民から拒絶され、袋だたきにあうことも考えられます。
だから、そこの部分は、語りません。
肝心な部分を語らないので、何をしているか、国民からは見えて来ません。
それで、「バカ」に見えて来ます。
政治家、官僚、経済の専門家達に対して、日本国民は、「この人達、いったい何がやりたいのだろう? どうして、経済の悪化を食い止められないのだろう? もしかして、もの凄いバカなのだろうか?」という疑念を抱きます。
ですが、頭が悪いわけではないのです。
ただ、国民には絶対に理解されないようなことしている為に、それを口にしないのです。
それは、なにかというと。
極端な表現をすると、「国民の奴隷化」です。
明治時代以降の、「国民の命なんて、紙切れ一枚と同じ程度の価値しかない」というような社会です。
なぜかって?
「労働力が安ければ安い程、企業の収益が上がる」から、です。
「社会」は、その主人公を誰に設定するかで、舵取りの仕方が、まるで変わってきます。
国民が主役で、国民の幸福を最優先にする社会では、国民に対して様々な権利が与えられ、富は広く国民に分配、あるいは、国家の所有物のまま、国民が利益を共有することになります。その一方で、企業には様々な制約が課せられることになります。労働者の待遇を守る為、企業に対して様々な義務が課せられるのは、まさに、これです。
これが、「国民国家」です。
企業が主役で、企業利益を最優先にする社会では、企業に対して様々な権利が与えられ、富は企業が独占する社会では、国家の所有物が次々に分離され、企業に組み込まれてゆく事になります。様々な制約は国民に課せられ、企業を守る為、時として国民は「徴兵」といった形で、戦火の中に投入すらされてしまいます。
便宜上、こちらは「企業国家」と呼ぶことにしましょう。
「国民国家」も「企業国家」も、体制としてはどちらも、成立しうる状態です。
そして、どちらも永続するものではありません。
企業が力を付けすぎれば、国民国家であっても、企業国家に変貌します。
国民が力を付けて立場が逆転すれば、企業国家も国民国家に変貌します。
例えば、フランス革命です。
企業でも国民でもない「存在」が、権利を手中にすることもあります。
ナチスドイツや、ソビエト連邦に代表される共産主義では、「党」が国家主権を掌握しました。
そして、現在。
世界的に、政治の主権は「企業」の手に移りつつあります。
誰の眼からも、現在の政治の主役が「企業」だという事は、理解出来るはずです。
「国民の暮らし」を最優先に掲げる社会では、国民にとって、しかも、貧しい世帯程、負担が相対的に大きくなる「消費税」等は、導入しません。
導入する場合は、生活必需品を非課税にするとか、軽減税率を儲けるなどの施策を講じます。日本のように、一律に課税するというような、乱暴なやり方はしません。
そもそも、課税というのは、「経済を抑制するブレーキ」です。
課税対象者から力を奪い取るのが、「税」の本質です。
「外国」の力を抑制するのが、「関税」。
一般企業の力を抑制するのが、「法人税」。
一般国民の力を奪い取るのが、「消費税」。
消費税の税率を上げてゆけば、国民の力が失われて行くのは、当然、ということになります。
逆に言えば、「国民の力を削ぎ落としたければ、消費税を導入して、税率をどんどんあげて行け」ということになります。
企業に力を与えたければ、「法人税をどんどん下げろ」という事になります。
外国の影響力を強めたければ、「関税なんてものは撤廃ろ」という事になります。
つづくかどうかは未定
タイトルの通り、経済について、書くわけですが、この記事の中に、小難しい計算式や難解なグラフは出てきません。
理屈は、ものすごく簡単です。
しかし、「経済」を語っている学者、評論家、政治家の、誰独りとして触れていない、一番大切なポイントを、書いています。
「一般人には伏せられていた、しかし、小学生でも理解できる、経済の秘密」です。
これを知ってしまうと、あなたの価値観、世界観が一変するかも知れません。
「土地バブル崩壊」以降、日本経済、および日本社会は、「異常」が常態化してしまった感があります。
経済成長率は一貫して世界最低水準。
20年前、完全に格下として見下していた中国が、現在では経済規模で日本の2倍になってしまいました。このままでは、経済規模は10倍まで行く、という声も上がっています。そしてそのときの軍事力格差は、20倍を超えるという意見もあります。
そこまで差が開いてしまうと、もはや、「絶対に勝てない」水準です。
なぜ、日本経済はこれ程までに低迷しているのでしょうか?
世界で一番、判りやすい説明をします。
「国民国家」の役割は、「国民の命、財産を守る事」です。
ですが、「国家」が「国民国家」であらねばならない理由は、どこにもありません。
現に、昔は「立憲君主制国家」とか、「絶対王政」とかいう国家モデルが当たり前で、現在のような「国民国家」は殆ど存在しませんでした。
広大な土地を所有する「領主様」がいて、その領地に暮らす人々は、「領主様の所有物」。下々には人権なんてものは無く、家畜と変わらない所有物、なんていう世界が、当たり前でした。
明治時代以降、太平洋戦争以前の日本は、現代よりも更に極端な格差社会で、東北では飢饉の際に大量の餓死者が出て、しかし、政府はそれを放置した為、人々が「娘を売って」、何とか食いつないだ、というような事さえありました。
この様な事が青年将校達の心を駆り立て、「226事件」のようなクーデター騒ぎも起こりました。
太平洋戦争におけるアメリカへの惨敗によって、日本の経済基盤は徹底的に粉砕され、終戦後の政策によって財閥も解体されてしまいましたが、その一方で、格差が縮小し、「一億総中流」という、近代政治にとって最も好ましい状況が訪れたことも、確かです。
さて。
なぜ、バブル崩壊以降、この国がおかしくなってしまったのか?
その前に。
理解して欲しいことがあります。
「官僚の頭脳は、極めて優秀である」
「政治家も、一般の人々よりも遙かに頭がよい」
もちろん、選挙で選ばれる政治家の中にはテレビタレントやスポーツ界から、「人気」だけで乗り込んできた方もいるでしょう。
しかし、それでも、政治家は一般国民よりは、総じて頭が良いはずです。
「国民の知らない事を、彼等は知っている」
その、「相手が知らない事を知っている」という事が、既に大きなアドバンテージになっているのです。
経済評論家の三橋貴明氏等は、たびたび、「経済学者は世界で最も頭が悪い」と言っていますが、それも間違いです。
「頭が悪い」のではなく、「一般国民とは、価値観が異なる」のです。
そして、その価値観、理想とする未来は、「一般国民の描く理想の未来」とは掛け離れたものです。そのため、それを「口」にすると、国民から拒絶され、袋だたきにあうことも考えられます。
だから、そこの部分は、語りません。
肝心な部分を語らないので、何をしているか、国民からは見えて来ません。
それで、「バカ」に見えて来ます。
政治家、官僚、経済の専門家達に対して、日本国民は、「この人達、いったい何がやりたいのだろう? どうして、経済の悪化を食い止められないのだろう? もしかして、もの凄いバカなのだろうか?」という疑念を抱きます。
ですが、頭が悪いわけではないのです。
ただ、国民には絶対に理解されないようなことしている為に、それを口にしないのです。
それは、なにかというと。
極端な表現をすると、「国民の奴隷化」です。
明治時代以降の、「国民の命なんて、紙切れ一枚と同じ程度の価値しかない」というような社会です。
なぜかって?
「労働力が安ければ安い程、企業の収益が上がる」から、です。
「社会」は、その主人公を誰に設定するかで、舵取りの仕方が、まるで変わってきます。
国民が主役で、国民の幸福を最優先にする社会では、国民に対して様々な権利が与えられ、富は広く国民に分配、あるいは、国家の所有物のまま、国民が利益を共有することになります。その一方で、企業には様々な制約が課せられることになります。労働者の待遇を守る為、企業に対して様々な義務が課せられるのは、まさに、これです。
これが、「国民国家」です。
企業が主役で、企業利益を最優先にする社会では、企業に対して様々な権利が与えられ、富は企業が独占する社会では、国家の所有物が次々に分離され、企業に組み込まれてゆく事になります。様々な制約は国民に課せられ、企業を守る為、時として国民は「徴兵」といった形で、戦火の中に投入すらされてしまいます。
便宜上、こちらは「企業国家」と呼ぶことにしましょう。
「国民国家」も「企業国家」も、体制としてはどちらも、成立しうる状態です。
そして、どちらも永続するものではありません。
企業が力を付けすぎれば、国民国家であっても、企業国家に変貌します。
国民が力を付けて立場が逆転すれば、企業国家も国民国家に変貌します。
例えば、フランス革命です。
企業でも国民でもない「存在」が、権利を手中にすることもあります。
ナチスドイツや、ソビエト連邦に代表される共産主義では、「党」が国家主権を掌握しました。
そして、現在。
世界的に、政治の主権は「企業」の手に移りつつあります。
誰の眼からも、現在の政治の主役が「企業」だという事は、理解出来るはずです。
「国民の暮らし」を最優先に掲げる社会では、国民にとって、しかも、貧しい世帯程、負担が相対的に大きくなる「消費税」等は、導入しません。
導入する場合は、生活必需品を非課税にするとか、軽減税率を儲けるなどの施策を講じます。日本のように、一律に課税するというような、乱暴なやり方はしません。
そもそも、課税というのは、「経済を抑制するブレーキ」です。
課税対象者から力を奪い取るのが、「税」の本質です。
「外国」の力を抑制するのが、「関税」。
一般企業の力を抑制するのが、「法人税」。
一般国民の力を奪い取るのが、「消費税」。
消費税の税率を上げてゆけば、国民の力が失われて行くのは、当然、ということになります。
逆に言えば、「国民の力を削ぎ落としたければ、消費税を導入して、税率をどんどんあげて行け」ということになります。
企業に力を与えたければ、「法人税をどんどん下げろ」という事になります。
外国の影響力を強めたければ、「関税なんてものは撤廃ろ」という事になります。
つづくかどうかは未定
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