FC2ブログ

いきもの憑りのお話ーー33

susa

いきもの憑りのお話ーー33
遺伝(メンデルの法則)           
エンドウ豆 マメ科の植物で、人類が古くから栽培した作物の一つ。根に根粒菌を生息させるため、不毛な土地でもよく育つ。学生時代、理科の時間で必ず習う、「メンデルの遺伝の法則」で、メンデルが実験に使用した作物としても有名。学生にとっては、夏休みの科学研究のテーマにもなりうる身近な素材ではあるが、種子法が廃止され、作物の自家採種が違法となったらしいので、もしかしたら、実験をしただけで逮捕されてしまうかものしれない。あるいは、大規模に栽培しても、「実験だ」と言えば黙認されるのかもしれない。馬鹿らしい。なんで、こんな意味不明な政治がまかり通る? 安倍はと安倍の支持者は、ほんとうに救いようのない馬鹿だ。ろくなことしやがらねぇ。もう、農業生産品は食べなくていいよ。先祖代々、誰もが当たり前に持っていた「種を採取して育てる」っていう権利を、「自分には関係ない」「だからどうでもいい」という理由で、どうして他人から奪い取るんだ? そういうことこそが「下衆の極み」なんだって事が、何故理解できないのか? 自分達のしていることを「人権の蹂躙」ということに、何故気がつけないんだ? それなのに、自分達は「世界のリーダーに相応しい」とか自惚れている。冗談も大概にしてくれ。お前らは、屑だ。ゴミだ。汚物だ。欲望に突き動かされているだけのケダモノだ。少しは恥という概念を理解しろ。ちなみに、原産地は地中海。これに対して、ライバルである大豆の原産地は東アジアで、日本が有力候補地域。更に付け加えると、大豆は人間の品種改良によって誕生した人工作物であり、縄文中期の遺跡から発掘された土器の付着物として大豆が潰れた痕跡が確認されていることから、縄文人がかなり大々的に農耕を営んでいた証拠とみなすことが出来る。

 この記事は、遺伝の法則のような感じで過去の記事と繋がってます。

 遺伝子工学が花盛りです。様々な遺伝子を組み込んで、新しい特性を持たせた動植物が次々に登場しています。画期的な、未来の医療と言われていた「遺伝子治療」も、すでに一部で始まっていますが、この治療の最も根底にあるものも、「遺伝子」で、既存の細胞の中に「遺伝子を組み込んだ細胞」を送り込むことで、病気の治癒や緩和を目指すものです(人体を構成する数兆、数十兆とも言われる細胞から特定の遺伝子を取り除くのは、不可能なので、「遺伝子除去」という治療は今後も行われないと思われます)

 人類が遺伝の法則の一端を科学的に解明し、その原理を理解するようになったのは比較的最近になってからで、19世紀の末、聖アウグスチヌス修道会の司祭、グレゴール・ヨハン・メンデルの実験によって、最初のその一歩が踏み出されました。
 それがあの有名な、エンドウ豆を使った実験です。
 少なくとも日本では、有名という以前に、義務教育課程で誰もが習う必須知識なので、知らない人には、何かしらの原因があったはずです。病気してたとか、外国いってたとか、グレていたとか。とにかく、何がしかの、理由が。
 まぁ、それは横においておいて。
 メンデルはこの実験で、背の高いもの、背の低いもの、シワのある豆、シワのない豆、黄色い豆、緑の豆を掛け合わせることで、その特性が子の代へ確率的に継承されてゆくこと、遺伝される要素はそれぞれが独立しており、要素が一つで発現する「優性」と、要素が二つ揃わないと発現しない「劣勢」の2種類があり、要素はそれぞれが一対(二つ)を持っていることを明らかにしました。


 ですが。
 メンデルの発見は、当時としては斬新過ぎたことと、当時の自然科学者達にとって数学や統計の素養はあまり重要視されていなかったこと、メンデルが科学者ではなく宗教家に過ぎなかった事などが要因で、人々はこの考えを直ぐには理解せず、遺伝にまつわる最も基本といえるこの考え方は、広まることなく、最初は埋もれてしまいました。
 けれども。
 幾人もの科学者達がそれぞれ独自の実験を通じてメンデルと同じ結論に到達し、次第に、子孫に特徴が継承される際の基本的なルール、すなわち「遺伝の法則」が浸透してゆきました。

 メンデルの発見とほぼ時を同じくして、同じような、しかし、全く意味合いの異なる、ひとつの学説が提唱されました。
 提唱者の名前は、フランシス・ゴルトン。
 提唱した学説の名前は、「優生学」

 生物の特性は「遺伝子」によって決定されるという考えは、長きに渡って、特に上流の人々によって支持されていた「王権神樹説(神によって権利を与えられた)」という概念から、「自分達は遺伝的に優れているから、人々の上に立つことが正義であるという発想への乗り換えを生じさせました。
 この考えは、裏を返せば「劣っているものは悪である」という発想です。王権神樹説では、「同じ宗教に入っていて、権力者の指示に従っていれば、積極的な迫害はしない(されない)」という暗黙の了解がありましたが、優生学では、その歯止めが無くなりました。劣っているとみなされた場合、ただそれだけで存在を否定されてしまうのです。優生学の「優れた者の血だけを残すべきである」「劣った者達は消えてゆくべきである」という発想は、「産児制限」「人種改良」といった思想、行為を生じさせ、最後には「人種抹殺政策(ジェノサイド)」という、地獄絵図に行き着きました。
「神」を捨てた人類が、その代わりとして手に握りしめたものの正体は、皮肉にも、「悪魔の思想」だったのです。
 しかし、奴隷や差別が正当化していた当時の多くの人々は、この「優生学」が「悪魔の所業を生んでいる」という認識に乏しく、特にエリート階級において、「優生学」は絶大な支持を受けてゆきます。
(いま問題になっている、杉田水脈議員の問題も、「生産性が低い=悪」という発想に基づいており、彼女や彼女の意見を支持する人々が、優生学に極めて近い思想の持ち主であることを伺わせています。なんというか。基本的人権というのは、本当にもう、全ての人間を対象にした「基本」であって、生産性云々とかを理由にこれを否定してはいけないんですが。なぜ、そんな事も理解できない人が、議員になったりするんでしょう?)

 この「優生学」を、国策として最も熱狂的に支持、推進していったのが、ヒトラー率いるナチス政権でした。そして、彼等が「滅ぶべき」と定めたのは、「ユダヤ人」(ユダヤ人が最初になっただけで、他の人種も見下していたのですが)。ナチスが政権を握ったドイツでは、国を上げての「ユダヤ人弾圧」が始まりました(ドイツが占領した他の国でも、同じような「絶滅政策」が行われました)。

「優生学」というのは、女狩り
そのものでした。

 他人に難癖をつけて、叩きのめし(殺してしまい)、持っている財産等を奪いとる。
 日本においても、同じような現象が時折おこります。
 それは、「不祥事を起こした企業を叩く」という形が多いように思われます。「確かに、良い悪いでいったら《悪い》だけど、会社が傾くまで叩きのめすような、悪いことをしたわけじゃないだろう」と思うような、些細なことでも、多くの企業が潰されるというのが、日本国民の気質のようです。
(私にとって、一番印象に残っているのは、「雪印」が叩かれた時ですかね。悪いは悪いけど、死人が出たとか、今後、誰かが死ぬかも知れない、とか言う問題でもなかったわけだし。だけどみんな、狂ったように、叩いていたし)

 自分達が何かを欲しているとき、まず、それを持っているものに「悪のレッテル」を貼って、暴力や差別を正当化する。そして、抹消してしまう。
 という行為は、悲しいことですが、世の中に普通に観られる行為です。
 子供たちのいじめも同じ構図です。
 世界の狂犬アメリカ合衆国が、定期的に行っている「侵略戦争」も、相手にレッテルを貼って、欲しいものを暴力的に奪い取るという、まさに魔女狩りそのものです。そして、「自分達は世界で最も優れている!!」とか、わけのわからないことを宣うのです。
 救いようのない、馬鹿ですね。

 ですが、遺伝子技術の急激な進歩は、そんな浅はかな発想をあざ笑うかのように、驚くべき真実を人類に対して突き付けました。

「人類とチンパンジーの遺伝的な差異は、極めて小さいという事実です。
 もちろん、だからといって、やはり、どうやってもチンパンジーはチンパンジーで、人間は人間です。人間同然に育てても、チンパンジーは、チンパンジーの域を出ません。
 しかし、「人間同士」の比較だと、事情が全く変わってきます。
 差異は、育った環境や施された教育によって、大きく影響されるのです。
 貴族に生まれた子供でも、貧しい環境で育てば、他の貧しい子どもと殆ど何も変わらない大人に育つのです。
 代々、社会の最下層に位置していた家の子供でも、十分な教育を受けることが出来て、健康的な暮らしを確保してやれば、社会において、上流階級の人々と、遜色のないーーあるいは、それ以上の能力を発揮するのです。


 人間は、極めて適応力の高い生き物です。
 そしてなにより、「正義」とか「悪」とかは、社会の情勢や立場によって、めまぐるしく変化する、曖昧なものに過ぎません。

 遺伝子は、その概念の浸透と共に、人間対して、「人間とは、いったい如何なる存在なのか?」を問いかけてきました。

「優生学」は、そんな問いかけに対して導き出されてしまった、
典型的な「誤答」であったと、見ることが出来ます。
 では、
「正解」はどのようなものなのでしょう?

 その答えは……、実は、対して重要ではないのだと思います。
 重要なのは、「人間とは何者か?」という答えを永遠に探し求めることであって、ゴールなんてものは、あってないようなもの、だからです。

 そう。
 遺伝子を親から、子へ、子から孫へと伝えてゆく行為に「終着点」がないのと同じように、この答え探しにも、「終着点」はないのです。

 つづく

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply