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いきもの憑りのお話ーー27

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いきもの憑りのお話ーー27

三つ葉葵-s2                   

三葉葵(三二一〇〇一) 徳川家の家紋であり、江戸時代以降は「最高権力者(将軍家)」の象徴として広く認識されるに至った。江戸幕府が倒れた後も、この三葉葵には奇妙な威圧感を感じる人が多いのではないかと思う。徳川家の統治した江戸時代は、1603年から1868年まで、約270年間に渡ってつづいた。たまにテストに出るから、覚えておいても損はない。なお、この三葉葵をみて真っ先に思い浮かべる人物といえば、例の黄門の爺であろうが、これは例のテレビ番組とあのテーマソングによる徹底した洗脳の結果であろう。もしかしたらこれは、現在もなお復権を狙う徳川家の陰謀なのもしれない。いや、流石にそれはネタとしても妄想が過ぎる。というか、黄門の爺といえば、爺の肛門である。日本は明日(ASU)の国であって、アスは黄門の隠語であったりする。この世界の神様ってのは、こういうくだらない下ネタも随所に仕込んでいる。真面目に付き合ってると、肩が凝って仕方がない。


 この記事は、何度も修正を加えた結果、よくわからないものになりました。話があちこち飛びまくって、内容が把握しにくいです。ごめんなさい。だけど、他所の人が言ったことのない、面白いことを書いたと思います。


 ヒトラーと豊臣秀吉は、よく似ていると思います。(顔の話じゃありません)
 明智光秀の謀反と信長の突然の死で日本全国に激震が走る中、中国大返しで誰よりも早く光秀成敗に駆けつけて打ち取り、その後の政治ゲームも無難にこなして天下統一を成し遂げた秀吉。
 電撃戦によってまたたく間に欧州を手中に収めたヒトラー。

 またたく間にひとつの時代を築いた二人は、共に、そこから無謀な勝負に打って出て、見事に、ドツボにはまります。
 その辺りが、実にそっくりだと思うのです。

 対ソビエト戦争(独ソ戦)という大きな過ちを犯したヒトラー。
 朝鮮出兵という愚を犯した秀吉。

 もっとも、ヒトラーに関しては、「ソビエトにドイツを攻撃する明らかな兆候があった」ので、先手必勝。殺られる前に殺れ。という理屈で先に打って出たっていう説もあり、仕方がなかった部分もあるのかもしれません。
(航空機の性能においては、ドイツ軍が圧倒的に優位にあるので、制空権を確保している所に陣地を作って待ち伏せるほうが、コストも低いし確実で、だからヒトラーの選択が誤りだったって評価は変えませんが)

 ところで。
 戦争とは、一体何のために行われるのでしょう?
 憎しみを相手にぶつけて、鬱憤を解消するためでしょうか?
 自分は正義で、相手が悪だから、必然として戦うのでしょうか?
 神か悪魔かによって課せられた、理不尽な試練でしょうか?

 いいえ。正義とか悪とかは一切関係ありません。
 基本的に戦争は「食料」あるいは、その延長である「経済」や「資源」「領土」の問題です。
 古い時代だと、食料が乏しく、このままでは餓死してしまうというような時、他の集団から食料を略奪するとか、農地や狩場を奪い取るとか、そういう目的で行われていたのが「戦争」です。
 現代では、「食えなくなった国家が、自国が生き残るために他国を喰う行為が戦争」とでも表現すべきでしょうか。

 ですから、愛とか祈りとか信仰心で、戦争が止まる事はありません。
 戦争が止まるのは、戦争継続が物理的に困難となった時か、戦いに見合うだけの利益を得られないと悟った時、あるいは、逆に戦いに見合うだけの利益が保証された時です。
 現代では、ほとんどの場合はお金を出せば食べ物を調達出来るので、直接食べ物を求める戦いは起こりにくいと思われますが、代わりに、「お金」を目当てに戦争が起こるようになりました。それと、「資源」の奪い合い。資源は、国家にとっての「食べ物」だと思っておけば、上記の説明におおよそ合致していると思います。
(資源をめぐる紛争は、色んな所で起こっていますよね)

 よく、「国内農業なんて必要ない。食料は外国から安く買えばいい」という無責任なことを言う人がいますが、裏を返せばその人は、「食料が無くなったら札束で相手のほっぺたをひっぱたくか、それでもだめなら戦争すればいい」と言っているのと同じです。
(日本はとっくの昔に経済大国の座から転がり落ちてしまっているので、「札束でほっぺたをひっぱたくは無理」だと思ってください)


 そして、繰り返しになりますが、それを最も端的に体現してきた例がアメリカ合衆国です。
 ですがアメリカへの愚痴を言ってたら際限がなく、話が一向に進まないので割愛します。

 さて。

 またたく間に権力を手中に収め、天下人となった秀吉ですが、そんな秀吉が、国内がほぼ安定したと思われた、まさにそのタイミングで「大規模な海外派兵」を行います。実際には、朝鮮半島で進軍は止まってしてしまったけですが、攻撃目標は「明(中国)」でした。

 
1585年。主君信長の仇をとるという大金星を上げた秀吉が、権力の座をトントン拍子で上り詰め、関白の位に着く。
 関白というのは天皇の補佐役を意味する地位の事で、事実上の最高権力者のことです。

 
1590年。国内に残る反秀吉の有力者の一人、関東の北条氏を攻めた小田原征伐が実施される。この勝利により、東北で戦う姿勢を撮り続けていた有力武将の伊達政宗が秀吉の傘下に加わり、事実上の天下統一が達成される。
(徳川家康はこの戦いの褒章として、北条氏が納めていた関東を与えられ、代償としてそれまで自分が納めていた所領は全て没収されてしまいます。つまり、これが家康が「江戸」に移る原因になったわけです)

 そして、
 1592年。第一次朝鮮出兵(規模は16万)。

 朝鮮出兵は、
小田原攻め(天下統一)の僅か
2年後の事でした。
 そして、惨敗という惨めな結果で幕を下ろします。

 表立って自分に逆らうものがいなくなったにも関わらず、秀吉はなぜ、わざわざ外国へ出向いてまで戦争を続けようとしたのでしょうか?

 私の考えは「朝鮮出兵は秀吉の要望から出たものではない」。
 最初、私はこう考えました。
「送り出した武将たちに、戦地で死んでもらうことで、将来豊臣家に立ちふさがりそうな者を予め葬り去っておく事が目的なのではないか?」
 こういう解釈を「動乱外転説」と言うのだそうです。ですが、この考え方は、朝鮮へ渡った武将の多くが秀吉の子飼いの武将なので、矛盾が生じる。ということで、否定されているようです。
 そこで、改めて私は、こういう仮説を立てました。
 秀吉に近い側近の中に、一人、あるいは数名の「戦で大勝した時は自分の手柄にする」「負けたとしても、死ぬのは最前線で戦うライバル」どちらに転んでも、自分の出世にプラスに働く。

「戦国の世は終わった。これからは、豊臣家の家臣による出世競争だ」と考えた者が居て、秀吉に「朝鮮へ出兵するよう促したのではないか?」
 そして、具体的に名前を上げると、それは
石田三成
だと思うのです。(更に言うと、三成は秀吉の死が近い事を知っていた。あるいは、三成本人が秀吉に毒でも盛っていたのかもしれない。なにせ、秀吉の子供は秀吉の種ではなく、誰か別の人の種だという説が根強いですし、そうなると、秀吉の周辺には、秀吉から権力を簒奪する計画があったという事ですから、天下統一を成し遂げた直後から毒を盛られるようになったとしても、全然不思議ではないのです。そう考えると、秀吉の頭が突然おかしくなった理由が説明できます)

 仮説ですが、辻褄は合っています。

 そして、もしこの考えが正しいとすると、先日お話した
インパール作戦の構図と、全く同じだということに、気が付かされます。
 嫌になっちゃいますね。
 しかも、よせばいいのに、二度目の朝鮮出兵がありました。
 この二度目の出兵は、秀吉の死によってますますグダグダになり、全軍撤退という形で幕を下ろしますけれど。
 とにかく、二度の朝鮮出兵は、豊臣家の権力基盤を弱体化する方向に強く働いてしまいました。当たり前です。戦って、得たものが皆無なんですから。タダ働きをさせられて、喜ぶバカはいません。武将たちは出兵に掛かった戦費という重圧に苦しめられ、民達には重税が課せられました。それで、豊臣家の治世に不満を持たない、ワケがありません。

 そして、不満を溜め込んでいたその矢先、秀吉がこの世を去ったのです。

 豊臣家の支配を、面白くないと思っていた武将にとって、最後のチャンスが到来した、
と言ってよいでしょう。
 そして、この時、豊臣家に挑戦できる最も良い位置に居たのが、結果として一度も朝鮮にゆかずに済んだのが、徳川家康、その人でした。
 なんだかもう、神様が、「お前が天下を取りなさい」って言ってるみたいな状態です。
 そして、家康は、注意深く様々な根回しを通じて、有力者を自分の味方に引き抜いて、必勝の体制を整えて、1600年、関ヶ原の合戦に挑み、豊臣軍を打ち破ります。
 そして、この時豊臣側の総大将は、秀吉の側近中の側近であった石田三成。
 三成は捉えられ、首をはねられました。
 実は、前回考えていたお話の展開と、かなりかけ離れたものとなってしまいました。

 ヒトラーは、どうして大勝している内に戦いを途中でやめることが出来なかったのか?
 秀吉は、どうして必要もないのに朝鮮くんだりまで兵を出してしまったのか?
 そして。
 日本軍は何故、勝てない戦いを延々と続けたのか?

 これらの疑問の根っこは、人間の、とある特性から来ているものと思われます。

『《勝つことが当たり前》と信じこんでしまった時、人は目が曇って簡単に足元を掬われて、コケる』という特性です。

 ヒトラーも、秀吉も、日本軍も、「自分達は強い。逆に自分達の敵は弱い。だから、必ず自分達が勝つ」と奢っていたことは、疑う余地のない事実です。


 そんな奢りの対極にいるのが、家康でした。
 家康という人間は、戦争が下手くそでした。下手くそというか、真の戦上手がどういうものかをよく知っていました。
 例えば、家康は31歳の時に、武田信玄率いる軍勢と衝突したことがありました。(同盟軍として信長が共に戦っていました)
「一言坂、二保城、三方ヶ原の戦い」です。
 連合軍側は数の上で、武田軍の約半数だったと言われていますが、それを加味しても、見事な惨敗を喫しました。家康は、この戦いで側近を初めとして多くの部下を失い、自分自身も危うく命を落としそうになりながら遁走したとされています。
 そういう苦い経験は、後々、家康を戒める宝となっているのだと思います。
(ってか、見事に「一二三」が揃ってますね。)

 翻って、日本軍はどうだったでしょう?
「神州不滅」「皇軍不敗」などと奢ってしまった結果、戦い方の基礎さえ忘れてしまっていたのではないでしょうか?
「必ず勝てる」と信じこんだ結果、単純な力押しばかりを繰り返すようになり、愚かにも、多数の兵を無駄に殺してしまう。
 それが、日本軍の最も典型的な「病気」ではないでしょうか?
 それは、「神州不滅」「皇軍不敗」という奢りによって出た病気です。
(そして、現代にも「自衛隊は世界最強」などと、訳のわからない妄言を履く病人が多数見受けられます。可哀想ですね。このままだと、また太平洋戦争と同じパターンで負けますね。「戦いは数だよ」っていう、有名な武人の残した名言を知らないのでしょうか? 今の自衛隊は、ビグザムと同じで、最初だけは無敵モードで大暴れ出来るでしょうが、すぐに弾薬が尽きて戦えなくなり、その間に急所を貫かれて、それでお陀仏、という感じでしょう。なにせ、日本には予備戦力が存在しないですし。有事の際、即座に戦力を増やせないのは、致命的です)

 ドイツ軍はどうだったでしょうか?
 連戦に継ぐ連勝で、勝つことが当たり前になっていたのでは無いでしょうか?
 秀吉はどうでしょう?
 小田原征伐で北条氏を下し、伊達政宗を配下に組み入れ、家康を関東に押し込めることに成功し、自分には、恐れるものなど何もないという状態になっていたのではないでしょうか?

 そういう時、人は迂闊にも、「油断」「侮り」「無謀」やをやってしまい、その隙に相手に急所を突かれ、致命傷を負うのです。

 あぁ。
 だけど、ドイツに関しては、独ソ戦で勝利できる、とてもお手軽なプランが存在していますね。

 そのお手軽戦法というのは、「この人に全部任せる」。
エルヴィン・ロンメル
エルヴィン・ロンメル (ドイツ人将校・陸軍元帥) 20世紀最高の戦術家の一人にして、ドイツの英雄。常に最前線で指揮をとり、機器に際しては臨機応変に対処し、奇跡のような功績を次々に打ち立てた。通称は「砂漠のキツネ」。トレードマークは、戦利品のイギリス軍仕様のゴーグル(この写真でも額の上にゴーグルが確認できる)。織田信長のような自由な発想と、上杉謙信のような義の精神、武田信玄のような戦の勘所を兼ね揃えた、完璧超人。ただし、印税を脱税してたので、お金にはセコい。当時も現在も信奉者が多く、マンガ進撃の巨人エルヴィン・スミス機動戦士ガンダムZZのデザート・ロンメルなど、このロンメルをモデルとしたキャラクター、名前を拝借したキャラクターは様々なところに散見している。最後は、ヒトラーに暗殺計画への下端を疑われ、差し出された毒を、自ら服毒するという形で自ら生涯に幕を下ろした。現在、ドイツ海軍には、「ロンメル」の名前を関したミサイル駆逐艦が存在する。なお、ロンメルはヒトラーを崇拝していたが、ナチス党に入湯することは無く、ユダヤ人や敵兵に対しても、常に人道的に接していた事を付け加えておく。

 ということで、ロンメルに全てを任せていれば、1941年の秋ごろに、余裕でモスクワが陥落していたような気がします。
 そうしたら、スターリンはソ連領の極東方面か、亡命してインド辺りに逃げ込んでいたと思われます。
 そうしたらーー日本も、アメリカへの宣戦布告を見送って、まずはソビエトをドイツと共に挟撃していたかもしれません。ソ連が堕ちたら、そのまま日独で中国を挟撃して、中国も落としたら、次はイギリスが居るインド方面へ向かうでしょう。
 インドが落ちたら、流石にイギリス本国ももう戦えません。
 当然ですが降伏というのはプライドが許さないので、イギリスも枢軸国の一員に加わるという形で、戦争が終わったのではないでしょうか?

 あぁ。なんだ。
 ロンメルを上手に使っていれば、第二次世界大戦なんて枢軸国側の圧勝だったじゃないですか。
(え? 世の中、そんなに甘くない?)

 いや、日本の上層部は愚かだから、そんな臨機応変なこと、出来なかったかもしれませんけれどね。

 というか。
 今回の記事は、書き直しを繰り返した結果、当初予定していたものと、かけ離れた内容になってしまっています。
 そしてその内に、最初に書きたかった事が何だったのかさえ、よくわからなくなりました。

 ただ、今の考えをまとめると、こんな感じになります。

 戦争ーー武力行使というのは、目的を達成するための手段の一つに過ぎません。
 そして、同じ手口を何度も多様する者は、相手に対策をたてられて、簡単に致命傷を負ってしまうのです。

 織田信長という、戦争の天才みたいな男がいて。
 天下統一まで、あと一歩という所まで駒を進めていたのに、冷遇していた部下に謀反を起こされて、あっけなくこの世を去った。
 豊臣秀吉という、不可能を可能にしてしまう知恵者がいた。
 天下統一を成し遂げたのだけれど、自分を過信しすぎて傲慢になって、最後には周りから人が離れていって、天下は一代限りで終わってしまった。
 徳川家康という、無能ではないが目立った長所のない、割と凡庸な男がいた。
 戦争も決して上手くはなかったし、人々が仰天するような記述のような真似も出来なかった。上には上が居ることを十分理解していたので、奢ることなく、常に慎重に行動していた。そして、他人を味方に引き込むように、務めた。
 幾つかの幸運が重なって、天下に上り詰めた後も、慢心することはなかった。その結果、彼の起こした幕府は、270年間に渡って継続した。

 江戸は、所領替えによって辺鄙な田舎に押し込められた家康の手によって、人工的に整備された結果生まれた街です。
 大規模な埋め立てや、河川の改修工事によって、計画的に設計された街です。

 戦争は、食べ物やお金を手に入れるために行われるのですが、食べ物やお金は、人間の手で生み出すことも出来ます。

 その、最も優れた手法というのは、「新たな都市を整備すること」です。
 殆ど人気のなかった所に、家が建ち、田畑が作られ、家畜が飼育され、商店が開き、宿屋が出来、経済が回り始めると、人がどんどん集まるようになって、街は発展し、経済が回り始めると、そこで、お金が生まれ、食べ物も生まれます。
 それは、「戦争をして相手から奪い取りたいもの」と全く同じものです。
 つまり、戦争など行う必要がない、ということです。
 江戸幕府の時代が、270年にも渡って安定して続いたのは、それを端的に証明していると思います。

「おなじ、街に投資する」であっても、既に巨大になってしまった都市への投資は、たいした効果を産みません。
 つい先日、東京で築地市場が閉鎖され、豊洲市場に移行しましたが、ハッキリ言って、それによって得られた恩恵なんて、微々たるものか、もしくは当面はマイナスでしょう。

 しかし、何処か地方都市に同じような経済投資をしていれば、伸びしろが大きく、得られる恩恵は遥かに大きなものとなるでしょう。

 ただ。その時に問題になることがあります。
「生活が困難」な状況で、いくら箱物投資をしても、効果は上がらないのです。減税や最低賃金の引き上げ、労働環境の改善といった事を行わなければ、人々の暮らし向きは改善しませんし、人口は増えませんし、経済活動も活性化されません。
 新たな都市整備と共に、「消費減税」「労働環境の改善」「賃金引き上げ」が重要だと言うことです。

 現実は、どうでしょう?
 大型投資は首都圏に集中。地価が上がるので家賃なども軒並み上昇。
 消費税は立て続けに引き上げ。
 労働環境は大幅に改悪。
 実質賃金も低下の一途。

 それが、今の政治の現実で、なのに、「安倍さん凄い」とのたまっているバカがいる。バカというか、狂人、もしくは、日本を弱小国のままで居させたい外国の手先。そういう連中が山ほどいる。

 徳川幕府が長く続いた、最大の秘訣は、「人間」だと思います。
「人間」。
「人の上に立つものの、心構え」です。

「武士の世」が長きに渡って続いたのは、「武士道」という価値観による所が大きく、その武士道の教える所は、「滅私」です。つまり、「私欲を捨てる」。

 戦争は、お金や食料の不足から起こる現象ですが、上の者が権力を傘にそのお金や食料を独占してしまうと、結果として、「戦争が起こる要因」が育ってゆくのです。
 国と国の間にそれが起これば「戦争」ですが、「支配者」と「民衆」の間でそれが起これば、それは「革命」と呼ばれる現象になります。
 江戸幕府の統治が歴史的に観て際立って長く続いているのは、人の上に立つ者達が、「富の独占」を卑しいこととして軽蔑したからです。

 逆を言うと、《「富の独占」は、社会を滅ぼす》という事になります。

 そして、今の日本社会は、『武士道の対極』に位置するような『私欲の塊』達に牛耳られていて、《富の独占》が正当化されてしまっています。

 その結果はどうなるかーー現状のままでは、未来には、「衰退」、あるいは、「滅亡」という言葉しか、見当たらないと思います。

 なんだか支離滅裂になってしまいましたが、書きたいと思ったことは一通り書いてあると思うので、今回は、こういう記事にしておこうと思います。

 徳川が一番すごかったことは、信長や秀吉のような「成金趣味」に走らずに、自らを持って人々へ手本を示したことでしょう。
 力や権力で他人をねじ伏てもダメなこと。道理で世の中を治める事の意味を、ちゃんと理解していた。
 上に立つ物が贅沢三昧で、喰うに喰えない、日々の暮らしに困窮している下々の精神を逆なでするような有様では、あっという間に、外国によって揺さぶられ、植民地にされていたでしょう。

(完全に、いまの日本はダメパターンだな)

 と。
 まぁ。
 グダグダだけど、今回は、そんな感じ。

 つづく

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Posted bysusa

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