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いきもの憑りのお話ーー26

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いきもの憑りのお話ーー26

ナチス・ドイツ(国旗)                

ドイツ(ナチス)国旗 日本の日の丸を反転させたものの上に、仏教のシンボルを逆転させたものをあしらった、通称「鍵十字」と呼ばれる、ナチス政権下のドイツ国旗。デザイン的には、日の丸と殆ど同じはずなのに、色だって馴染みのある赤と白なのに、観てるととにかく落ち着かない。気持ち悪い。インド(一十)の話を読んだ後、ドイツ(十一)が出てきて、そこに仏教のシンボルを反転させたものが出てくると、流石に、そろそろ、「これって、ヤバイんじゃないか?」って思いませんか? プラスとマイナス(十と−)とも解釈できるドイツ(十一)も、数学や科学では世界屈指の実力を誇る技術大国です。なんだろうね、これ。言霊の力? 「よくわからんけど、でも、すっげー」って思いませんか? インドは、「〇」を見つけ出しました。ナチスドイツの指導者となったヒトラーは、超が付く程のオカルトマニアで、やっぱり「〇(霊)」が憑いていました。「ここまで徹底してると、感動すら覚える」って感じませんか? いや。全然ふざけていませんよ。私は、至極、真面目だよ。


 この記事は、《いきもの憑りのお話ーー25続きです。


 第二次世界大戦の話に触れたら、触れずに済ますことなど許されない国があります。

 第二次世界大戦を勃発させた、張本人。

 ナチス・ドイツでございます。


 ナチス台頭の原因は、一にも二にも、第一次世界大戦で敗北によって負わされた多額の賠償金と、失われた領土にあります。

 なぜって?

 領土が減ったことによって、それら地域に暮らしていたドイツ人はドイツ国内の他の都市部に移り住む事を余儀なくされます。そこで、大勢の人と限られた仕事を奪い合うことになります。

 追い打ちをかけるように、世界恐慌勃発によって、超不景気が襲います。

 そして、国民の多くは、一斉に職を失って、特に都市部の人々は、食べ物を入手できなくなって、飢えに直面します。


 このような状況下では、人々は当然のように、「政権打倒!!」を叫びます。

 このような時は、助けてくれるなら、誰だって構わないのです。だって、既に餓死寸前まで追い詰められているんですから。他のことなんて、構っている余裕は無いのです。

 そして、次に選ぶのは、「自分達ならこの不況を打破できる」と、最も景気の良い話をぶちあげていた勢力です。小難しい理屈は入りません。効果があるのは、「○○が悪いから、俺達は苦しんでいるんだ」「○○を倒せば、問題は改善に向かうんだ」といった、単純明快なロジックで、その主張は過激であればあるほど、また、愛国的であればあるほど、効果を上げます。

 ん〜。なんか、日本でも似たような現象が、ほんの少し前にあったような気がするなぁ……


 そして、ドイツ国民は「ナチス」を選びました。

 そんな敗戦国ドイツを、とある国のとある集団がこぞって支援していました。

 ここで「イルミナティー」とか「宇宙人」って言えば、一部の人に受けるのかもしれませんが、違います。

 ありふれた、たんなるアメリカ経済界です。


 なぜ、アメリカの経済界が敗戦国ドイツを支援したのでしょうか?

 技術力のあるドイツとアメリカが手を結べば、とても美味しいビジネスが出来るからです。例えば、アメリカとドイツにしか生産できないような製品だと、外国に非常に高く売りつけることも可能ですし、実際、そういう行為を行っていました。

(くり返しになりますが、アメリカの行動原理は「金儲け」です。ただ、意味不明の理屈を展開して自分達を正当化しているから、彼等の行動パターンを見誤るというだけで、実際には、お金に反応しているだけです)

 それと、当時のアメリカ経済界には、反ユダヤ主義者がかなりいて、露骨に反ユダヤに傾倒していったドイツ国民、およびその中心であるナチスを、むしろ好意的に受け止めていたという理由もあります。
 政権の座に付いたナチスはドイツ軍の再建を宣言して、軍拡に動き始めるます。公共工事もバンバン行って、景気回復に努めます。失業者だった人々も、軍に入れば「軍人」として賃金を貰える立場になるので、ドイツの経済状況は急激に回復しました。

 そして。

 ナチスが率いる過激なドイツが、欧州を再び戦火に巻き起こしても、アメリカ経済界としては、全く問題ないどころか、むしろ大歓迎でした。


 夢よ再び。
 第一次世界大戦で、アメリカはボロ儲けだったからです。


 1939年8月23日。
 ナチスドイツは、それまで徹底して非難し続けてきた宿敵であるはずのソ連との間で突如、不可侵条約を締結。誰の目にも、それは明らかに、ドイツが戦争を始める兆候であった。
 1939年8月25日。
 これを受けてイギリスとポーランドは相互援助条約を締結する。(フランス・ポーランド間の相互援助条約は既にあった)
 1939年8月29日。
 ドイツはポーランドに対して、「ポーランド回廊」の割譲を要求する最後通告を通達。
(ポーランド回廊がどの領域であるかは示されておらず、事実上の無条件降伏勧告であった)
 そして、1939年9月1日。
 ドイツ軍はポーランドへ侵攻を開始。
 イギリス、フランスは相互援助条約に従い、ドイツに対して宣戦を布告。
 1939年9月17日には、ソ連もポーランドへ進撃。
 このソ連の参戦に劣勢にあったポーランド軍は完全に壊滅。
 ポーランドは降伏し、独ソ両国によって分割されることとなった。

 以上が、「第二次世界大戦」の開戦直前から開戦へと至った簡単な流れです。
 もっとも、当時の殆どの人は、必ずしもドイツのポーランドへの侵攻を「世界大戦」の幕開けだと捉えていたわけではありません。
 ポーランドを併合したことで、ドイツの野望は満たされた、と考える人も大勢居ました。
 このまま戦火を拡大すれば、ドイツはイギリス、フランスといった欧州を代表する軍事強国と戦って大怪我を負う事になります。それよりも、ポーランドを飲み込んだことで満足しておくほうが賢い。ドイツだって、そこまで愚かではないはずさ。
 という考えです。

 そして、欧州の時計の針は、表面的には目立った動きがない状態で。静かに時を刻んでゆきます。

 ですが。
 そこまで愚かだったドイツは、再び雄叫びを上げて周辺国に襲いかかります。

 1940年5月10日、ドイツはオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの三国に対して同時進行を開始。さらに、国境のマジノ要塞を挟んでフランスともにらみ合いの状態となる。
 だが、マジノ線を挟んでのにらみ合いはドイツにとってはフランス軍をおびき寄せる囮であって、ドイツ軍の本命である機甲師団は、アルデンヌの森を突破してフランス国内へ突入していった。

 フランスには、この機甲師団を押し留めるだけの兵力が存在せず、6月14日、ドイツ軍はパリに無血入城を果たす。
 フランスは政権が内閣総辞職の後、発足した新政権がドイツに対しての降伏を決め、以後フランスは枢軸国の一員となる。

 同年7月。
 ドイツはイギリス本国を航空機による爆撃によって攻撃し、その後、陸上部隊を送り込んで制圧する計画を実行に移す。


 バトル・オブ・ブリテンと呼ばれる事になるこの戦いは、ドーハ海峡を超えてゆかねばならないドイツ軍側にとってはかなり過酷な戦いで、性能的にもドイツ軍機に劣らない水準のイギリス軍戦闘機の活躍、そして、イギリスの要所に配置されていたレーダー基地による事前の察知によって、イギリスは辛くもこの戦いをしのぎきる。

 ドイツはイギリス本国の制圧を諦め、以後は商船を武装するなどしたえげつない海上戦力を駆使した「通商破壊」によってイギリスの封じ込めを行うこととなる。


 ここで、もう一度、アメリカ合衆国という存在を思い出してください。

 アメリカが最も大切に考えていたこと。
 アメリカの行動原理とは、なんですか?
 平和ですか?
 正義ですか?
 秩序ですか?
 違いますね。「金儲け」です。

 そういう国が、「通商破壊」を容認できるでしょうか?
 出来るわけがありません。ビジネスを邪魔された守銭奴アメリカは、この通商破壊にブチ切れて、「参戦」に大きく舵を切ります。
 ですが、参戦しないという公約を掲げて大統領選を戦ったルーズベルトは、簡単にそれを反故にすることが出来ません。
 ですから、参戦するだけの理由を創らなければなりません。
 この理由づくりこそが、「日本への挑発」行動です。つまり、ハル・ノート。
 飲めない要求を日本に突きつけて、アメリカを攻撃させる。
 そうすれば、日本と軍事同盟を結ぶドイツに対して宣戦布告が出来る。
(というか、ドイツの方からアメリカに宣戦布告してくれる)

 まぁ。そういう経緯で、やがてアメリカが参戦する事になるのですが、真珠湾攻撃は1941年の12月。バトル・オブ・ブリテンから、まだたっぷり、1年以上先の話です。

 もしもドイツが、この時点で戦争終結に向けて動き出していたら、どういう事になっていたでしょう?
 というよりも、なぜ、ヒトラーは全く、野心を満たすことが出来なかったのでしょう?
 モスクワはフランスやイギリスに比べて、はるかに遠く、ドイツは有効な物資の補給手段がありません。大半の道は未舗装で、足回りに問題の多いドイツ軍戦車が、目標地点まで無事に走破出来るとは思えません。

 ソビエトとは、不可侵条約を結んだばかりなのだから、ここで辞めておけば、大儲けじゃないか!!
 望外な勝ちを拾えたというのに、これ以上のリスクを犯す必要が何処にある?


 普通に考えれば、そういう風に、ここで守りに入るのでしょうが、ヒトラーは、無謀にも「攻め」の姿勢を貫きます。

 1941年6月22日。
 ドイツはソビエトに対して奇襲攻撃を開始。
 いわゆる東部戦線の幕開けです。

 本当に。どうして、ナチスは立ち止まることが出来なかったのでしょうか?

 実は、ドイツには「戦争をやめられない事情」があったのです。

 ドイツにとって、戦争は「公共事業」だったのです。
 失業者を兵士として雇い、仕事のない企業に「軍事物資という商品」を発注することで、ドイツ経済が回っていたのです。
 戦争を辞めてしまったら、ドイツ経済は再び失速し、街には失業者が溢れかえることは明白で、そうなってしまったが最後、自分達が政権をとった時と同じように、ドイツ国民は「打倒ナチス」「打倒ヒトラー」を叫び、自分達を権力の座から引きずり降ろすことでしょう。
 そしてヒトラーは、
ポーランド人かフランス人か、それとも同胞であるドイツ人からかは判りませんが、とにかく色々な人に恨まれていることは間違いないので、そういう誰かによって暗殺され、惨めにこの世を去ることになるに違いない……

 ヒトラーは、そういう未来を、想像していたに違いありません。

 ヒトラーは、「飛び方」は知っていたのかもしれませんが、「降り方」は知らなかったのです。ですから、「飛び続けるしかなかった」のです。

 そのため、人肉を食べる所まで追い詰められた日本軍のインパール作戦ほどでは無いですが、寒さの中、補給は届かず、武器は凍りついて使えないという、恐怖の冬将軍と、ドイツ軍は戦う事となるのです。

 ヒトラーは、何処で何を間違えたのでしょう?
 果たして、何処でどうしていれば、ヒトラーは上手く「着地」することが出来たのでしょうか?
 歴史上に、このような状況から上手く着地した、手本となる人物はいないのでしょうか?

 次回は、その辺りのことを、日本史上の「とある人物」を例にして、もう少し掘り下げて書いてみようと思います。

 ところで。
 ヒトラーは、「アー(聖杯)」等の神の遺産を探し求めて、世界中に探索隊を送り出しましたよね?
 その気持ち、なんとなく判りませんか?
 おそらく、彼は解っていたんです。
「自分は、この問題の解決方法を知らない」ということを。そして、「このままだと、ドイツは滅亡するまで、戦い続けるしか無い」、ということを。

 だって。
 戦いを辞めても、絶望的な不景気に逆戻りするだけなんだもの。
 そうしたらもう、神様にすがるぐらいのことしか、出来ないでしょ?

ベルギー国内のドイツ人戦没者の墓
立ち並ぶドイツ人兵士の為の墓標 (ベルギー) 

 つづく

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Posted bysusa

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