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神憑りのお話ーー48

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神憑りのお話ーー48

ぼんくらぼんくら 連続時代劇で、全10回が放映された。推理モノなのだけれど、主人公が真犯人を突き止めたにもかかわらず、「そのまま放置する」という、斬新極まりない形で物語の膜が閉じる。それでいいのか? とか思うが、視聴者は犯人を知ることが出来るわけだし、よくよく考えれば、こういう推理モノというのも、ありなのだと気が付くはずである。

 この記事は この記事は《神憑りのお話ーー47》の続きです。

 この世の終わり(尾張)に現れる救世主というのは、実は、しょぼくれたオチ○チンで、それが元気になるっていうのが、出口王仁三郎や日月神示が伝えようとしたメッセージだ――なんて話しを真顔でしていた日には、「あんた、頭大丈夫か?」と言われ、世間でせせら笑われるのがオチです。

 国常立尊がペニス、艮金神が睾丸、変成女子とは珍子のことである――とかいう話しをされたら、日月神示のブームの頃に、『御霊磨き』とか言いながら、真剣にアセンションを目指していたスピリチュアルな方々は卒倒するかもしれません。

 ですが、ちゃんと筋は通っているでしょ?
 2014年の9月には、御嶽山(=国常立尊の山)が噴火して、多数の死者まで出したでしょ?
(この時の噴火もまた、《「九」の花》の一つなのでしょう)

 上記の日月神示の中に、「生まれ赤子」という言葉が時折登場します。

「生まれたばかりの赤ん坊」という意味だという事はなんとなく判りますが、「なんで一歳児じゃだめなの?」「なんで、五歳児じゃいけないの?」って思いませんか?
 ゼロ歳児なんて、「外部や自身から発せられた刺激に反応しているだけ」で、別に心が綺麗ってわけではないじゃないですか。

 これはね。

ゼロ歳=ゼロ災=ゼロ災害=災害ゼロ=無事=富士

 っていう一種の連想ゲームなのだと思われます。
 完全に、「遊び」になっていますね。

 頭を柔軟にして、物事に、もっと上手に対処しろ――みたいな。

 ですが。
 私は柔軟に対処出来なくて――腰の柔軟性が不足していて――同年10月、以前も書きましたがバイト中に腰を痛めました。短期間に、強い負荷を掛けた結果です。
 初めは鈍い痛みで、その内治ると思ったのですが、回復どころか痛みは悪化の一途を辿り、やがて耐えがたい痛みに変わりました。しかも、痛みが腰から足に来て、歩くこともままならなくなりました。
 その痛さは、過去に体験したどの痛みよりも強烈で、深夜、激痛で目が覚める、あるいは、20メートルも歩くと痛みで立っていることが出来なくなって、必然的に部屋に籠もる――といった、かなり悲惨なものでした。
 たまに外に出るときは壁に掴まるなどしながら、しかも足を引きずってという状態で、ちょうどこの年の大河ドラマ「軍師官平」の主人公・官平と同じ状態になりました。
 ですので、真似をしているような感じで、人前に出るのがとても恥ずかしかったです。
 この痛みは、それから半年以上続きました。
(というか、違和感自体は今も残っています。普段は気になりませんし、走ったりしても平気ですが、今でも時々、足に違和感は感じます)

 そして、同年10月から12月にかけて、作家、宮部みゆきさん原作のドラマ、「ぼんくら」をテレビで観ました。
 連続もので、全10回が放映されました。

 岡っ引きである主人公は、紆余曲折を経て殺人事件の真相にたどり着くのですが、事件の真相を自分の胸にしまったまま放置して物語が幕引きとなる――という、「推理モノの結末として、本当にそれでいいのか?」という不思議な幕引きをするドラマでした。

 この作品はまるで、「《神事を経験して》様々な事を知ったにもかかわらず、結局、核心に触れることを何一つ語らなかった私への当てつけ」のように思われました。
 そして、足の痛みを気にしながら、「なんで俺なんだよ? 俺が一体、何をしたって言うんだよ?」とか、思っていました。

 つづく

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Posted bysusa

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