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神憑りのお話ーー41

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神憑りのお話ーー41

ディッキンソニア         
ディッキンソニア オーストラリアのエディアカラ
丘陵で大量に発掘される、異形の生物化石群の代表的なもののひとつ。6億年以上前の生物であるが、このディッキンソニアは体長が1メートルを超える大型種で、左右の形状が僅かに異なっているのが最大の特徴。おそらく、海底に溜まった有機物質(光合成生物の死骸等をバクテリアが分解したもの)を取り込んで栄養にしていたのではないかと考えられている。中枢神経(脳)の痕跡は見当たらないため、外部から刺激があっても無視していたか、あるいは、クラゲやイソギンチャクと同レベルの反応しか出来なかったと推測される。 


 この記事は この記事は《神憑りのお話ーー40》の続きです。

 随分間が空きました。
 ごめんなさい。
 原稿を、一度書き直しました。
 最初は、「サヨクは世界名作劇場(アニメ)」に特徴が似ていて、「ウヨクはスーパーロボットもの(アニメ)」に特徴が似ているよ、という話を書いていたのですが、ちょっと嫌になったので、攻め方を変えました。

 

 右折しか出来ない自動車があったとします。
 その自動車は、

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■   ■
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 のような道に入り込んでしまったが最後、ただ同じところをぐるぐると回る事しか出来なくなり、事実上の「詰み」となってしまいます。

 右折が左折であっても同じ事です。
 左折しか出来ない自動車は、やはり、

■■■■■■■■■■←←←
■   ■ ■   ■
■   ■
■■■■■

 のような道に入り込んでしまったが最後、外に出ることが出来なくなって、「詰み」となります。

 少し前の記事で、「トリプラキュディウム」という古代生物を取り上げました。今からおよそ6億年ほど昔のエディアカラ紀という、有名なカンブリア爆発よりも更に古い時代に栄えた生物です。"," 私は、この生物は《海底を這いずり回って暮らしていた、身体の構造が3分割されたクラゲの仲間》だったと推測しているのですが、現実には様々な説があり、大昔過ぎることもあって、決定的と言えるような説は定まっていません。"," しかし、いずれにせよ、極めて単純な原理に従って、駆け引きなどない単純な環境で生きていたことは間違いないと思われます。",""," ところで、このエディアカラ時代には、上記のような、《右(左)にしか曲がれない車》のような生物も存在していました。
 いくつかの種類が居るのですが、代表格はディッキンソニアで、1メートルを超える大型生物で有りながら身体は薄く、左右の基本構造は同一なのですが、その大きさが微妙に異なっていました。現在発掘される化石は厚さ3mm程とぺちゃんこになっていますが、生きていた頃はこんもりと小さな丘、あるいは山のような生物だったと思われます。"," この生物は、左右で大きさが微妙に異なるため、ただ普通に前に進んだだけで、身体が小さい方の進み方が不足し、自ずと右回り、あるいは左回りになってしまったはずです。",""," あくまでも私の推測ですが、この生物が左右不対称な形状に進化したのは、まさにこの、《ぐるぐる回り》をせんが為だったと考えています。少しずつ成長しながら、蚊取り線香のようにぐるぐると螺旋を描けば、生まれた場所から極端に遠い所に行かずに、自分が通った場所ではない所を進み続ける(=自分が餌を食べた場所でない所を進む)ことができます。つまり、《知能を全く使わずに、食事の量を最大化した》というわけです。
 ですが、こんなものは《机上の空論》。
 確率的には上手く行く個体もあるでしょうが、中には沢山の《上手くいかなかった個体》だって現れたでしょう。
 ですが、その《上手くいかなかった個体》は尊い犠牲として切り捨てられました。
 何故ならば、脳を持たなかったこの生物達は、《知性》が無いために、確立に頼るしかなかったのです。

 とりあえず、《原理的には上手く行く》パターンを製造して、あとは、数の力で強引に《生き延びる個体が現れることを祈る》という、運任せ、神任せの生存戦略だったのです。
 おそらく、こういう環境で、このようにして暮らしている生物は、飛躍的な、極端な進化を遂げることがありません。
 進化とは、沢山の仲間が死んでいった中で、少数の上手くやった個体が子孫を残し、自分の特徴を次世代に伝えることで、次の世代が更に環境に上手く適応することによって生じます。
 ですが、この生物は、「運」に任せる要素が強すぎて、「受け継がれるべき特徴」が定まらないのです。
 ですから、長いこと殆ど何も変化しなかったものと思われます。

 ところが、そんなエディアカラ生物達の時代は、大陸の分裂が開始しされ、海中に火山活動によって放出された有害物質が溢れるようになると終焉を迎えます。"," とにかく、これによって光合成生物が大打撃を受けて、食糧源が絶たれてしまったのが大きかったと思われます。
 それから、平均気温の急速な低下。この時代、エディアカラ生物達が生息した地域では平均気温(平均海水温)が60℃を越えていたと考えられています。バクテリアの活動も活発で、光合成生物の死骸などもあっという間に有機物質に分解され、海底に沈殿し、エディアカラ生物たちの糧となったでしょう。  ところが、光合成生物自体も激減した上に、気温の低下でバクテリアの活動まで不活性化してしまうと、エディアカラ生物達にとっては、二重、三重の打撃となります。
 これによって、エディアカラ生物達の多くは絶滅寸前まで追い込まれました。

 そんな中、長い雌伏の時を経て、「脳」をもって、しかも、「眼」や「触角」まで兼ね揃えた、全く新しいタイプの生物が登場します。

 具体的に言うと、その生物とは
「三葉虫」です。
三葉虫ーs 三葉虫 化石の王様と言われるほど、多種多様で大量に出土する古代生物。既に絶滅してしまっており、現在はこの種の子孫は存在しない。
昆虫や甲殻類と外見上は類似点も存在するが、おそらくは全く別系統の生物であった。化石生物の中で、最初に眼を持った生物として扱われるのがこの三葉虫で、これは進化を説明するう有名な仮設(光スイッチ仮設)の大きな手がかりとなったものと思われる。
ただし、光スイッチ仮説が仮に正しいとするならば、最初に眼を手に入れたはずの三葉虫が、なぜ生態系の底辺でくすぶっていたのかという、新たな疑問が生じる。
(私は、光スイッチ仮説は誤りだと考えている)。
なお、生物で最初に眼を持ったのはクラゲの仲間で、多くの生物の目は、そのクラゲの持っていた目の発展形だということが現在は明らかになっている。


 三葉虫は、トリプラキュディウムのような「ランダム移動」でも、ディッキンソニアのような「渦巻き移動」でもなく、餌に向かって進んで行くことが出来ました。"," これらが餌の奪い合いをした場合、三葉虫が圧勝する事は言うまでもありません。
 その為、トリプラキュディウムやディッピンソニア達は、生存の道が完全に絶たれ、絶滅しました。

 ちなみに今回、此処でお伝えしたいことは、古代生物の蘊蓄話ではなく、《「右にしか曲がれない」「左にしか曲がれない」というのは、生存戦略としては欠陥が多すぎるため、ちょっとしたことで簡単に滅びる》というような話しです。

 右(左)にしか曲がれない自動車は、ちょっと癖のある路地に入り込んでしまったが最後、抜け出すことが出来なくなります。
 同じ現象は、政治の世界でも起こります。 《人権》と《国家》とが衝突したとき、常に《人権》を優先する、といった戦略を採用していると、やがて《国家》の基盤がズタズタになって、《国家》として成立出来なくなってしまいます。
「サヨク」と呼ばれる人々は、このような愚をこれまで散々繰り返してきました。 《人権》と《国家》とが衝突したとき、常に《国家》を優先した場合も、やはり同じような悲劇が起こります。",""," 国家の都合によって労働者の権利が次々と削られ、国民の税負担がどんどん重くなって行くと――地獄のような、息苦しい世界になります。
 これは、「ウヨク」と呼ばれる人々が、現在進行形で行っている「愚行」です。

 残業代をカットする(過労死を助長する)ような法律を作ってみたり、消費税(あるいは社会保障費等)をどんどんあげていった結果、この国の基盤が盤石になるかというと、全くそんなことはなく、底辺に近い国民の生活が次々に破綻して、《国家》は内側から腐って崩れて行くでしょう。",""," 何を言いたいかというと、《「サヨク」も「ウヨク」も、頭が悪いという点では同じ》ということです。「サヨクが間違っていたから、ウヨクか正しい」というような単純な話しではないのです。
 更に言うと、第二次世界大戦の折り、日本はまさに、この「愚」を犯して最悪の形で戦争に敗れました。

 当時はとにかく、「お国のため」が、他の全てに優先されていたのです。
 その結果、「末端の兵士の命」をとにかく軽く扱かわれ、平素でさえ、悲惨な話しが山のように発生しました。
 戦闘に関する話しは更に多く、日本軍の戦闘行為の中には、無意味な命の使い捨て戦術が頻繁に発生しました。
 爆弾を抱えた航空機で敵に突撃する「神風特攻」は、その象徴のようなものです。  確かに、特攻によって一定の戦果は上がったでしょう。
 ですが、特攻をしなければならないような状況に陥ってしまったら、もう、負けが確定したも同然なのですから、指導者は「特攻のマニュアル化」ではなく、「速やかな敗戦処理」を開始するべきでしょう。
 つまり、「そこまで追い詰められたのなら、潔く降伏しろ」って話しです。

 ですが、常に《国家》を優先するような条件付けがなされてしまった集団においては、そのような判断が出来ません。 《個人の命より国家の方が大切》という考えが無条件で《正しいこと》とされるので、どんなに負けが込んでいても、「降伏しよう」という発想は表には出てこれず、「最後の一兵まで戦い続けるべし」という主張が《正しいこと》としてまかり通ってしまうのです。

 これが、《正義》の恐ろしさです。

 何かを正義として確定させてしまうと、状況に応じて自由に方向転換するが困難となるのです。

 つづく

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Posted bysusa

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