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神憑りのお話ーー31 (番外編)

susa

神憑りのお話ーー31 (番外編)

 この記事は この記事は《神憑りのお話ーー30(番外編) 》の続きです。

 ナウシカの《オーム》や《粘菌》の話題をした後で、松本/地下鉄サリン事件で死刑判決を受けていたオーム真理教の幹部数名の処刑が実行されました。

 確かに、罪は犯しましたが、それにしたって、生前はいろいろとすごい苦しんだと思うので、月並みですが、安らかに成仏してください。

 それから、もちろん。
 しばらく記事を書かなかったのは、執行の日取りを知っていて、それを待っていたーーってわけではありません。
(そんな情報が外部に漏れるわけがないですし、仮にこっそり漏れるにしても、私のところになんか絶対にキません)

 でも、「こういうこと」が頻繁に起こります。
 何故でしょう?

 まぁ、今回の一件で、『ナウシカ』の次は、『天空の城ラピュタ』に関する《語り残した事》について、取り上げたいと思っていたのですが、少々別の話題を、織り交ぜてみることにしました。

 混ぜ込むテーマは、《黄泉》。つまり、《死者の国》です。
 それから、オマケじゃないですが《地獄》。

 ちなみに、《死者》には四四の他に、「四二」や「二二」という数字読みが当てられます。

 さて。
 天空の城ラピュタのヒロインの名前ですが、ご存じのように、《シータ》です。
(読みは四一二、二一二、四二、二二のいずれか)。
 ラピュタ王家の末裔である彼女は、ゴンドアの谷(二二)で一人、暮らしていました。

 ゴンドアは、おそらく「九十〇」と書くのでしょう。
「ト」と「ア」は、基本的に「十」と「〇」しか対応していません。
 ただ、「コ」に対応する数字は「二」「五」「九」の3つがあります。
 ですから、「ゴンドア」の読みの可能性として「二十九」「五十〇」「九十〇」の三通りが考えられますが(字面が一番美しいので)、九十〇と書く事にしておきます。

 そして、この「九十〇」という組み合わせは、日月神示において「言葉」と訳されることが多い(というか、全て『言葉』と訳している?)です。

 この《言葉=九十〇》は、逆から読めば、『〇十九=(男)』になります。

《男というのは、(本当に必要のないこと以外は)語らないものだ》って事なんでしょうかね?

 そして、さらにその視点を手に入れている人が「九十〇」という組み合わせを見つめた時、勘が鋭ければ、これを「子」、「♀(女)」と読めるでしょう。

《女、子供というのは、おしゃべりが好き》と昔から相場が決まっていますし、同時に《男》の対極です。

 二重、三重の含みを持たせた非常に高度な「読み遊び(黄泉遊び)」なのですが、これが成立する為には、「数字の読み」「言葉の読み」「言葉の意味」の少なくとも何れか一つを、『意図的に作る』必要があります。

 この内、現代の私たちにかろうじて出来ることは、「言葉の意味」を変えてしまうことぐらいです。
 つまり、人間には「殆ど不可能」ということになります。

(《言葉》は膨大な数に上るので、一つや二つで、偶然にこういう一致が起こることはあり得ますが、《言葉》という言葉に絡んでこの現象が起こるというのは、あまりにも《不自然》過ぎます)

 というか、誰かが意図的に仕込まない限り、こういう現象は起こりません。
 これを掘り下げてゆくと、「《創造主》ってのは、実在するんじゃないの……?」という考えに辿り着きます。
 それは実質的に、私たちが「神様」と呼んでいる存在と同じものです。

 それともうひとつ。
「こ」と読むことが出来る3つの数字、二、五、九を合わせると、「じごく」という言葉になります。

(そして、地獄に堕ちた者は閻魔様によって舌を抜かれてしまうので、おしゃべりが出来なくなります)

 黄泉(読み)の国で食事を摂ると、もう生者の世界には帰ることが出来なくなると言われています。
 というか、日本神話の冒頭の、イザナギ・イザナミの物語が、ずばりソレです。
 イザナミが現世に帰れなくなった理由は、黄泉の国の食べ物を食べてしまった結果であると、イザナミ自身が語っています。

 なぜ、「黄泉の国で食事をしたら戻れなくなる」という伝承が生まれたのでしょう?

 恐らくそれは、九五(喰い)が発生してしまうからです。
 天国へ行けるのは、悔い(九五)を残していない死者です。そして、天国へいった者は、やがて再び生まれ変わって地上に戻ります(《日本》は、昔からそういう死生観が根付いています。

 つまり、喰い(九五)によって、九五(悔い)が宿ってしまった結果、イザナミは現世に転生出来なくなったのです。

 ところで。
 なぜ、日本の神話は、なぜイザナミとイザナギの物語の結末に、残酷な幕引きを用意したのでしょうか?

 この件に関しては、以前このブログで述べているのですが、他にもこういう考え方もあります。

 イザナミは、「クニウミ」の神です。
 イザナミが現世に居るという事は、現世で再び「クニウミ」を行う可能性がある、ということです。
 すると、それまであった「クニ」はタダの邪魔ものになってしまう為、一掃される事になります。

 というか、一掃されるのは今現在この国に暮らしている、「私たち自身」に他なりません。
 イザナミというのは、そのぐらい物騒な存在であるから、絶対に現世に関われない場所に居て貰わなければ、困るのです。
 もともと、三貴子に「口」が居ないのも、「口無い」=「朽ちない」に掛かった言葉遊びです。
 それが、日本神話です。


 さて。
 今度は黄泉ではなくて地獄の話しです。

 地獄(二五九)に堕ちた者は、鬼(〇二)によって強制的に浄化されます。

 すると、二五九だった亡者達から九五(悔い)が取れます。
 そして、タダの「二」になるわけですが――

「二」というのは、「二二」の略字でもあります。
 この「二二」には幾つもの読み方があります。

 ブタ(強欲)だったり、タダ(凡夫)だったり、ニジ(二次元/二番煎じ/輝いてる)だったり、フジ(お山の大将)だったり。
 そこに加えて、「鬼(〇二)」がいる。

 あぁ、それって。
 この世界の事じゃない?

 ってか、これまでの流れから推測するに、ブタとかタダとかニジとかフジとかってのも、どうせまた、全部私の事なんでしょうね。

 ってか、「二二(富士)」と関わってて、「五(神子)」で、オマケに「九(九の花)」と関わってる私ってのは、やっぱり、地獄(二五九)から出してもらえないわけ?

 ということで、次回はラピュタについてもう少し掘り下げます。

 つづく

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Posted bysusa

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