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神憑りのお話ーー29

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神憑りのお話ーー29

ナウシカと粘菌     

粘菌の胞子を採取するナウシカ 風の谷のナウシカより 風の谷の王族の娘で、族長ジルの唯一の子息であるナウシカは、性格的にはかなり個性的で、毒性の強い腐海の植物や虫達について研究をすることを(密かな)ライフワークとしていた。そして、腐海の植物達は、清浄な空気と水によって育てれば、毒を出さない無害な存在であることを突き止めた。でもね。それって、人間だって、基本的におんなじなんだよね。毒のある人間だって、良い環境の中で暮らしていれば、自然と毒を吐いたり他人に迷惑をかけたりしなくなる。


 この記事は この記事は《神憑りのお話ーー28 》の続きです。


 宮崎駿作品についての話題が続いています。

 今回は「風の谷のナウシカ」という作品に絞って、少し掘り下げてみようと思います。


 ただし、今回は何時もと少し毛色の違う手法を用いてみたいと思います。
 今まで、「言葉」だけで状況を説明しようとしてきましたが、それでは要点を掴みにくいと考えたので、今回は簡単ではありますが、図を用意してみました。

 前回お話しした通り、ナウシカという名前を数字に置き換える場合は、「七九二一」と書くのが妥当と思われます。
 そして、この「七九二一」という数字を前後から読み直すと、「泣く旅」「ヒツクへ」「《人に終わり》へ」「《独り終わり》へ」という言葉が得られます。
(※「一」には「はじめ」という読み方があるように、「九」には「おわり」という読み方が存在します)

 ところで。
 いまあげた読み方についてなのですが――全て、《風の谷のナウシカ》という作品の中で、ヒロインであるナウシカが体験する事と、見事に一致していると思いませんか?


ナウシカ-繋がり-01

ナウシカ繋がりーその1 そもそも、なんでスタジオジブリ=祟りなのでしょうか? それは、ぶっちゃけ、宮崎駿→速い。速いの反対=遅い=呪い=祟り=二二二=ジブリ。 というような、ある種の呪い(まじない)めいたものが関与しているのではないかと思います。そんなの信じない? でも、この国は「言霊の国」なんでしょ?


 ナウシカは、トルメキアが始めた戦争に《風の谷》からも参加を要請され、その要員として出兵します。そのような盟約がトルメキアとの間に交わされていたからです。
 ナウシカの旅(二一)とは、そのような戦争に纏わるものでした。

 そして、行く先々で様々な悲劇に直面し、幾度も涙を流します。
(というか、ナウシカが笑顔で居られた時間なんて、本の僅かしかなかったです)
 だから、「泣く旅」は合致しています。

「《人に終わり》へ」は、最終局面でナウシカが行った「旧人類の残した「次の世代」を皆殺しにする」という行為が、まさしくコレでした。ナウシカ達は旧人類が残した「暫定的存在」に過ぎず、やがては「次の世代」によって駆逐される事が予想されました。ナウシカは、しかし、そのような未来を否定しました。今生きている自分達には、未来を生きる権利がある。例え「腐海の時代が終わる時に自分達の生きる場所が無くなる」としても、僅かな可能性に託したい。
 ナウシカは、その様に考え、「旧人類の残した《次世代》」を抹殺しました。

 ということで、これも合致していると視ます。

「《独り終わり》へ」は、ナウシカの理解者となりうる森の人が現れ、彼がナウシカに対して「自分と共に生きてくれ」と言ったことで、実現されました。

 別に、結婚して子供を儲けるとかでなくとも、彼等は「念話」が可能なので、遠く離れていても意思の交換が可能でしょう。
 いずれにせよ、自分と同じ感覚、そして世界の秘密を共有できる存在と巡り合ったことで、《ナウシカの孤独》は終わったわけです。
 ということで、これも合致していると視ます。

※ヒツク(一二九)に関しては、「日月神示」の中で使用されている専門用語なので、今回は言及を避けましょう


 ただ、彼女は「世界の行方を大きく決める運命的な使命」を与えられ、それを果たしたワケですので、合致していると考えて良いと思われます。

 そうすると、「ナウシカ(七九二一)」は、作品の中で見事に、名前に潜ませてある「別の言葉」を成し遂げて見せたという事になります。

 これを、「作者である宮崎駿氏が意図的にやって見せた」と思うのもいいでしょう。


 思うのは、勝手です。

(だけど、おそらくそれは違っているでしょう)


「意図的も何も、そもそも、そんなものは無い」と私の言葉に耳を塞ぐのも良いでしょう(私の解釈を押し付けることは出来ませんので)。
 あるいは、「本当だ。なんか凄い……」と、この世界に対して違和感を感じるのも良いでしょう。

 私に出来ることは、自分が気がついた事を「伝える」ことだけで、「伝えた後」にどういう考えを持ってしまうかまでは、自由に出来ないですから……


 ところで。

 この作品には、二つの巨大国家が登場します。
 一つは「トルメキア」。古代文明の遺産とも言えるビル群や交通インフラの残骸がまだ存在する、「かつての巨大都市に築きあげられた強国」です。
 いま一つは「ドルク(ドルク諸国連合)」。
 もともとはかつて土王という超常者が治めた部族の連合集団でしたが、失われた古代文明の技術を持ってやって来たて「先達」が土王から権力を簒奪、今は皇弟が自らが考案した宗教によって治める地域となりました。

 この「トルメキア」及び「ドルク」という言葉もまた、同じような要素が含まれています。
 トルメキアは十六〇三〇。ドルクは十六九。
 トルメキアは十六十三〇という読み方もあり得ますが(あるけど、特に深い意味がない)ドルクの読み方はこれ一通りしかありません。


ナウシカ-繋がり-02

トルメキア、及びドルクは、自らの名前に込められた(言霊)に従った行動を取る。もうね、見事というしか無いくらい、その振る舞いは、言霊によって縛られていることが判る。


 そして、十六〇三〇は「神の目覚め」、「神の技を」逆から読むと「目覚めの神」等と読むことが出来ます。
 十六九の方は「神の苦」「神の子」逆から読んで「苦の神」などと読めます。

 そして、作品中のトルメキアというのは巨神兵という神を目覚めさせてしまった存在(神の目覚め)ですし、ドルクに戦争を仕掛けたのは墓所にある「古代文明の技術遺産」を奪取したかった(神の技を)からです。
 ドルクもドルクで、国土の多くが腐海に飲まれてしまったり(神の苦/苦の神)、超常の力を持った存在を神として崇める宗教によって治められていたり(神の子)と、作品が名前から導き出される数字文字と合致しています。


 また、風の谷のナウシカという作品を象徴する存在として「オーム(〇六)」という巨大生物が居ますが、これは非常に特殊ですが「さく」と読みます。普通に読んでも「まる」と読めますし、後ろから読めば「群れ」と読めます。


オーム


実在する(した)生物とオームとの大きさの比較。 イメージだと、大型恐竜ぐらいに頭の中で勝手にまとめてしまうけど、どうやら、全然規模が違う存在のようです。オームのてっぺんから硬い岩盤の上にでも転がり落ちたた日には、ほぼ隔日に死ぬでしょう。もはや、巨大建築物の領域です。


「丸」い「虫」と言えば、大抵の方は真っ先にダンゴムシを真っ先に連想すると思うのですが、風の谷のナウシカという作品に登場するオームの姿は、デコレーションされた巨大ダンゴムシそのものです。そして、このオームは群れで行動します。
 また、ナウシカの服を青色に染めた一件を思い出して頂ければ判ると思いますが、触手を金色に輝かせ、その中で伝承に語られる「救済者=青き衣の者」を誕生させました(咲く)。


ナウシカ-繋がり-03

 そして、もう一つ、オーム程の存在感はありませんが、風の谷のナウシカという作品に書くことの出来ない重要な存在。


 粘菌(五三)。

「ネ」に関しては、ネと読んで良いのは、「五」だけという前提が書いてしまいましたが、「2」「9」も「ネ」なのかもしれません。
 これは、「子」=「子年の《ネ》」から来ています。


 そして、「キ」の読みが出来るのは「3」だけです。

 ですから、粘菌=五三でしょう。

(九三や二三でも、それなりに意味は通じます。というか、矛盾しないと思います)


ナウシカ-繋がり-04


 それで、「五三」という前提で話を進めると、粘菌はゴミです
 確かに、粘菌はゴミのような存在です。

 そして、基本的には非常に弱い存在です。

 ただ、淡々と増えるだけ。増えて、毒を吐き出すだけ。

 悪臭を放つ代わりに猛毒を放ち、人類(というか、腐海と共存出来る虫以外の生物)にとっての《害》をなす粘菌に相応しい言葉は「ゴミ」です。


 ですが、粘菌が役目を果たした暁には何が起こるか、何が生じるかというと……



人工粘菌

人工粘菌 風の谷のナウシカより 兵器として運用するために、トルメキア戦役では人の手によって人工的な粘菌も創りださ、戦線に投入された。この人工の粘菌を「処理」するために、虫達が集まり、オームの大群が押し寄せてくることになる。そして、オームと人工粘菌は、お互いを喰らい合い、死に、ただ静かに、「森」の苗床になってゆく。


 浄化され尽くした、美しい世界。


 つまり、「ゴミ(五三)」がひっくり返ったら「三五(神子)」が現れるわけです。

 この辺りの設定は、日月神示に書かれていることと、「まんま、おんなじ」と言えるでしょう。

 ということで。

「風の谷のナウシカ」という作品は、どう考えても、「今まで知られていなかった別のメッセージ(言霊)が込められている」事になります。
(私の見解では)

 そして、それは製作者である宮崎駿氏が意図的に仕込んだものではないと思っています。
 何故かというと、宮崎駿氏と繋がりが薄そうな方の作品にも、同じような「原理」が作用しているものが存在するからです。
(こんな手法を、大勢が共有しているとしたら、その情報は必ず外部に漏れるはずです)
 そう考えると……

 この世界には、「人間よりも明らかに知性が高い」上に、「人間の行動を操作することが出来る」存在が居る――
 という考え方に、向かって行くと思うのです。

 そして、その様な存在の事を、人間は一般的になんと呼んでいるかというと――


 つづく

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Posted bysusa

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