神憑りのお話しーー02

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 神憑りのお話ーー02

天地明察「日月」      
「天地明察」より 安井算哲 計算が好きの棋士であったが、その優れた才能を見出され、侍としての地位と測量の任を与えられ、後に日本独特の暦を作り出すことに半生を費やす、実在した人物。この時代は、数学技術が現代に比べて著しく遅れており、地球が太陽の周りを集会していることさえ、殆どの者は知らなかった。当然、日食や月食の原理も理解されてはおらず、それがいつ生じるのかを計算で導き出すことも困難であった。算哲は、それを非常に高い精度で成し遂げ、日本の数学技術を西洋の水準に近づける立役者となった。そのようにして創られた地図や暦は、後の国土開発の土台として、発展に貢献した。

 この記事は神憑りのお話しーー01》の続きです。

「狐につままれたような」というのは、まさにこのような事なのでしょう。
 あれだけ苦しんだ挙句、最後にラーメンを食べて「オチ」をつける、というのはいったいどういう了見なのか?
 理解に苦しみましたが、とにかくまずは休みたいと思いました。
 また、「これで一連の現象が終わりになるなら、納得できなくとも、それはそれでいい」という気持ちもあったと思います。
 ホテルや旅館のたぐいは近くにあるようには思えず、おそらく名古屋駅まで戻らなければ見つからないと判断しました。あるいは、近くで誰かに尋ねて、旅館のたぐいが無いことを確認したかもしれません。
 いずれにせよ、体力的には限界でした。
それで、食事を終えて店を出た後は、さまよっている間に見つけたまんが喫茶に向かって、そこで会員登録をして、朝まで仮眠をとったと記憶しています。

 まんが喫茶では、ネットのチェックをして、すぐに寝たと思います。
 ネットに関しては、気になっていたことがありました。
 回線の遅さと、Windowsの使いにくさです。使いにくいというか、普段Linuxを使っている私にとっては使い慣れないものなので、思うように使えないのです。途中で購入したUSBメモリにファイルを一つ保存するのにも、随分と苦労をした記憶があります。
 それで、「パソコンを持って来るべきだった」と、後悔しました。

 ラーメン店を出た後からだと思います。
 私の中で、ひとつの変化がありました。
 やたらと数字が気になるようになったのです。

天地明察「本当に算術だ」s
「天地明察」より この漫画と、私の状況の相似については、かなり早い段階で気がついていた。安井算哲は「太陽と月の位置関係の謎を解き明かして暦」を作る。私も、きっかけは日月の謎を解いての「年表づくり」だった。ただし、彼の場合は、その暦づくりは「藩や幕府」による強烈な後押しによって推し進められたが、私の場合、誰一人として期待しない、一個人の活動に過ぎなかった。だけど、やっぱり、似ていると思う。

 例えば、道を行き交う自動車のナンバープレートや、電柱に巻いてあるプレートや広告の類、そして時計です。
 今になって振り返ってみると、それまでは、身の回りの数字や電話番号等を、気にしていなかったと思います。
 それが、気になるようになったのが、ラーメンを食べた後からではなかったかと思うのです。
 特にこの頃気になったのが「39」という数字。

「咲く」とも読めますし、「サンキュー(ありがとう)」とも読めます。
 そして、特に強く印象に残っている数字が「32−39(掃除、サンキュー/惨事サンキュー)」という数字。
 この32-39という数字は、どういうわけか、何度も目にしたように記憶しています。
 その他にも、頭の中で考えていることと、道を行き交う自動車のナンバープレートがシンクロするというような現象が起こるようになりました。

 私は、これまで度々、数字の事を話題として取り上げてきました。

「〇〇という言葉は、数字に置き換えると××で、これをまた言葉に戻すと△△になる」
 というのが、本格的に始まったのは、この頃からだったと記憶しています。

 そして、この現象は、あるものと、感覚的に非常によく似ていると感じました。
 それは、某匿名掲示板「2チャンネル」の書き込みです。

 2ちゃんねるというのは、自分の書き込みに対して、別の誰かがレスをしたり、あるいは自分が誰かの書き込みにレスをしたりしながら、会話のようなモノが積み上げられてゆきますが、この現象も、それに非常に近いのです。

 具体的に、どんなやり取り(数字)があったかという点については、ほとんど覚えていません。それは、2チャンネルの中で、どんな言葉のやり取りが行われていたか、ほとんど記憶していないのと同じ事です。その瞬間、意図が組み取れれば、そのあとで忘れてしまっても、問題無いのと同じで、特に重要ではないことなので、自然と忘れてしまうのです。


  この頃、特に気にかかった数字は「32−39」だったと思います。
 これは、「惨事サンキュー」とか「掃除サンキュー」とか、「相似咲く」などと読めます。

(扶桑は「23」と書きます。ということは、3は「そう」と読みます。3を「そう」と読ませることには、違和感を感じるかもしれませんが、そういう理由で32を「そうじ」と読んでいます)

 行き交う車のナンバープレートの中に、32とか39とかが、やたらと目につくようになりました(32−39というナンバーをつけた自動車がやたら沢山走り回っていたというわけではなく、93ー23だったり、単に39だけだったり、最大4桁の数字の何処かに39が紛れ込んでいたり、といった感じです)
 そして、別の車のナンバープレートには「084(おはよー)」とか、「459(地獄)」とか、「132(秘密)とか、」「1071(言わない/岩無い)」だとかいう数字が、私の思考と連動するようなタイミングで走り去ってゆくのです。

 これは、ものすごく奇妙な感覚でしたが、そこまで不快なものではなかったのと、疲れていたのとで、とにかく、眠ってしまったのだと記憶しています。

天地明察「桜じゃないよ」ss
「天地明察」より 私は、「桜」に用事があっての旅だったのですが…… いや、本当に《あべこべ》ですねぁ。

 この時は、夜が明けて、始発の電車で名古屋駅へ行き、新幹線で東京へ、そして自宅へと帰ったのだと記憶しています。
 そして、電車の中で、今度はやたらと「42」という数字が目につくようになりました。

 42

 真っ先に思い浮かぶのは、おそらく「死に」という言葉です。
 私はこれを、「お前は死んだよ」という意味に受け取りました。
 他に意味があったのかもしれませんが、当時は(数字の読み方の)語彙が少なかったのです。

 自宅には、何事もなく、無事に帰りつけました。


 そして数日後、
 再び、モニターのLED発行による「呼び出し」がありました。

 つづく

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Posted bysusa

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