富士と日と月(二二と一と二三)ーー(04)

susa

富士と日と月(二二と一と二三)ーー(04)

アダム(¥5000)
新世紀エヴァンゲリオンより アダム  (ユダヤ教の教えでは)アダムは、神が創りだした最初の人間に与えられた名前。このアダムの肋骨から、妻であるイヴが作られ、二人は「禁断の実」を食べたことによって楽園から追放されたとされている。画像は常にネタ切れというFC2ブログのワンフェスの収穫 その1 「最初の人間アダムだよ」という記事から拝借したもので、「商品」として売られていたものだそうです。お値段は1つ5千円也。初物としては、かなり安い部類になるのでしょうか? ちなみに、検索をかけたら2016年のサンマ初物は、1匹で3万7千800円がついた、というニュースがヒットしました。この勝負、圧倒的にサンマの勝ちですね。今後、アダムも負けずに、アダムの水煮とかアダムの照り焼きとかの商品展開をするのでしょうか?

 この記事は富士と日と月(二二と一と二三)ーー(03)》の続きです。

 昨日お話したように、ふしぎの海のナディアはニーチェが「神は死んだ」と称した時代の物語。
 すなわち、
「不思議の海のナディア」の世界は、「神の命」が、まさに今、尽き果てようとしている時代(世界)。神々の黄昏=《ラグナ・ロク》を描いた作品です。
(地球におけるアトランティス=M78星雲人≒神の文明は結局滅んでしまいました)

 そんなナディアに対して、
「新世紀エヴァンゲリオン」の世界は、人間が自らの手で神を創りだす世界を描いた作品です。

 ナディアの世界では、神々の死は、「科学」によってもたらされました。
 エヴァの世界では、神々の生は、「科学」によってもたらされました。
 つまり、2つの世界は、この一点において、実に見事な対関係にあります。
 科学が、神を殺し、科学が、神に新たな命を与えた、という点で。
(ちなみに、ナディア世界のノーチラス号のエンジンは「対消滅機関」でした。これ、もしかしたらヒントだったのかな?
 こうなると俄然、「科学」というものに焦点が当たります。
 そして、その結論は昨日お話した通りのものです。
「(過剰な)科学は、人を不幸にする……」のです。

 食べ過ぎ、飲み過ぎと同じようなものでです。
 食べ物は、なければ空腹でひもじいいですが、限界を超えて食べ続けると死に至るのです。
(それだけでなく、科学力を持つ者と持たない者との間で、極端な力の不均衡=格差が生まれ、それが毒となるのです)

 エヴァンゲリオンの最後の使徒である渚カオルが、その死に際して、意味深なセリフを残しました。
僕が生き続ける事が、僕の運命だからだよ。結果、ヒトが滅びてもね。だが、このまま死ぬ事も出来る。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだ
カヲルとシンジs
新世紀エヴァンゲリオンより 初号機の中のシンジと使徒として人類を滅ぼすためにセントラルドグマを目指す渚カヲル

 なぜ、「生と死が等価値なのか?」
 渚カヲルは、あのとき一体、なにを伝えたかったのか?
 数々の憶測を呼んだ、実に謎めいたセリフですが、ここまで来てしまえば、既に謎は無いも同然です。

 渚カヲルのこの言葉は、そのまま、《神》の想いだと考えれば良いでしょう。
 人間の都合によって葬り去られ。人間の都合によって、再び生を与えられ、人間にとって都合の良いように操られている、不要となったらゴミのように打ち捨てられる《神》です。

 確かに、「神(渚カヲル)」はこのまま、人間の敷いたレールの上を走り続ける事も出来たのです。
「人類を滅ぼす」というレールです。
 そしてそれは、人間の道具として使われるということでもあります。
 けれど。
 そんな人間(他者)の都合に振り回されるだけの生には、なんの価値を見出すことは出来ません。自分の意志で生きるから、人生には意味があるのです。
 殺されたら、殺されたで、やはり同じです。
 そこにも、意味はありません。
 無意味という意味で、渚カヲルの生涯にとっての生と死は等価です。

 故に、「自分を殺してくれ」
 となるわけです。
 乱暴な言葉遣いになりますが、彼の本音はおそらく、
(すでにお前らは、科学の力で欲望の全てを満たすことが出来るんだから、もうお前らに《神》は不要だろ?)
 といったところです。

 必死になって神に近づこうと「補完計画」を推し進めてきた人類(ネルフ/ゼーレ)に対して、人の手によって生み出された神様が
「(人類の救済? 知らねぇよ、そんなの。それより俺を)殺してくれよ。お前ら、俺のこと嫌いだろ。ただ、自分に都合が良いからって、利用してただけだろ? 俺も、お前らのことが大嫌いなんだよ」
 と訴えているわけです。


 このように考えたならば、テレビシリーズのラストで、唐突にシンジくんの内面世界に切り替わってしまったことも、納得できると思います。


 人間の手で神を創りだす、
 という物語は、
 人に創られた神の生の放棄(死)によって幕を閉じたわけです。
 ニーチェもびっくりの、ニヒリズムの極地です。

 つづく

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply