そして、《変態》という人種が生まれた――⑰
そして、《変態》という人種が生まれた――⑰
銀河英雄伝説より ヤン‥ウェンリー 「不敗の魔術師」、「ミラクル・ヤン」と言った異名を持つ、幾度となく絶体絶命の劣勢を覆し、生涯に渡って「無敗の将」であり続けた《変体将軍》、もとい、「相当な変わり者の将軍」(あんまり変わらん)。彼は自由と民主主義を愛し、それを破壊する戦争を憎んだ。そもそも、そういう人間のくせに戦争が嫌いなのに軍属になってしまった時点で《変体》である。戦場では、敵に勝利することよりも、如何に部下を死なせないかを再優先に行動してきた。劣勢下にありながら、常に不敗であり続けた彼は、当然のように出世を続け、それ故に戦場に送り出されてしまうという、悪循環に落ちってしまう。その有能さ故、地球教団の暗殺者によって殺害され、短い生涯を終える。生前の彼は、銀河帝国陣営にとって、最大の敵と目されていたが、魔法のようなその鮮やかな手腕は、同盟陣営以上に高く評価されており、銀河帝国内にローエングラム王朝を打ち建て、初代皇帝ラインハルト1世となったラインハルト・フォン・ローエングラムにとって、ヤンは、「評価する」といった単純なレベルを超越し、自らと同じ水準にある、唯一の理解者のような存在であった。もし、彼の存在がなかったら、「銀河英雄伝説の物語は、ラインハルトが一方的に勝ち続ける、薄っぺらい作品になっていた」ことは、疑う余地がない。
この記事は《そして、《変態》という人種が生まれた――⑯》の続きです。
銀河英雄伝説という漫画(原作は小説)は、非常に人気のある作品です。発表されてからかなりの年月が経ちましたが、今も大勢の根強い支持者がいます。
そんな銀河英雄伝説という物語(人気)を支えている、大黒柱のような存在が、このヤン・ウェンリーという人物です。彼は一種の奇人であり、戦争において「敗北」の二字を知ることなく生涯を終えた、戦争の天才児でした。しかし、それ以上に、彼は戦争を嫌いました。
ドラゴンボールのような「バトル物」でしたら、「喧嘩は嫌いだけど強い」というキャラクターは、存在として説得力を持ちにくいですが、「戦争は嫌いだけど、戦術‥戦略に関しては天才的なセンスを持つ」というのは、さほど不自然さを感じません。
学生時代、友人にこの銀河英雄伝説の小説を貸してあげたら、ものすごく嵌ってしまって、「疾風のウォルフ!!」とかなんとか、事ある毎に叫んでいた奴がいましたが。
男の子だったら、宇宙空間に敵味方の大艦隊が整然と隊列して、お互いにビームやミサイルを射ち合って戦いを繰り広げる、というのは、当然のように憧れるものと思います。
(私の世代だと、『DAIVA』なるコンピュータ・ゲームの影響もかなりあったと思います)
DAIVA (T&Eソフト) より 当時としては爆発的に売れたハイドライドというゲームを放ったT&Eソフトが、1980年台の中頃に発売した戦略ゲーム。様々なコンピューターや、コンシューマーであるファミリーコンピューターでも発売された。単なる移植と違うのは、それぞれが艦隊を他の星系に送り出すことでパスワードを取得することが出来、このパスワードを他のマシンに入力することで、ゲスト艦隊を招くことが出来たこと。また、惑星攻略はアクションゲームとなっていて、ゲスト艦隊を招いていると、2人で協力して惑星戦を繰り広げることが出来た。当時としては、かなり凝った仕様のゲームであった。音楽用カセットテープにダビングしたゲームがひとつ5000円ぐらいだったので、当時のゲーム業界は、ヒット作がひとつ出ると、儲かって儲かって、笑いが止まらなかったと言われていますが……
子供の頃(若い頃)は、そうやって、戦艦同士が戦って、次から次へと爆発して宇宙の藻屑と消えてゆく光景を「カッコいい!!」と無責任に喜んでいられます。
(ガンダムのモビルスーツ戦闘なんかや、現実の戦争も同じです)
年を喰うと、その中にいる、大勢のことを考えてしまうようになります。
たとえば、銀河英雄伝説に登場する戦艦は、一隻あたり約720名のクルーによって運用されます。巡洋艦だと、その半分から1/3だと思われます。
一回の戦闘で、1万隻が沈むような戦闘は、この物語では珍しくもない戦い、という扱いなのですが……
仮に、戦艦2000、巡洋艦8000が沈められたとすると……
一回の戦闘で死者数は400万(!!)
広島、長崎の原子爆弾による死者数の20倍ぐらい?
どう考えても、馬鹿の垂れ流しです。
※ただし、銀河英雄伝説の戦史などで発表されている戦死者数は、ここまで大きくなりません。これは、割と知られている話らしく、設定のミスということらしいです。(殆どの船は、圧倒的に定員を割り込んだ乗員数=1/4ぐらいで運用されていたと仮定すると、いい感じの数字になります)
乗員は規程の1/4で無理やり運用しているという前提で計算しなおしても、
一回の戦闘で死者数は100万(!!)
考えなおしたけど、やっぱり馬鹿の垂れ流しのままです。
銀河帝国の圧政がイヤで逃げ出したのに、一回の戦闘で100万人死ぬような戦争状態のまま、長期に渡って均衡するという状況しか生み出せなかったって……
こんな状況を容認している銀河英雄伝説の世界の貴族とか政治家(及び政治家を選んでいる国民)は、頭おかしいでしょ。絶対。
年を喰ったせいか、この手の戦争に、拒絶反応が出てきちゃうんですよね。
でも、銀河英雄伝説は、小説(漫画・アニメ)だから、許せます。
というか、楽しめます。
ガンダムも同じです。架空の世界の出来事だから、冒頭からコロニー落としで「開戦当初の一ヶ月間で総人口の半数が死に〜」とかサラッと言われても、受け入れられます。
ゲームもいいでしょう。
(私もそういう、人がいっぱい死ぬようなゲームでも遊びますし)
けど。
現実でそれをやったら、人間失格でしょ。
私達は、小説を読みながら、あるいは、漫画やアニメを観ながら、「ヤン‥ウェンリー」の言葉の一つ一つに共感し、自分の保身しか考えない政治家や、貴族たちを軽蔑します。
ところが、現実の世界において、しばしば私達は、そんな軽蔑したはずの《自分の保身しか考えない人種》と全く同じことをしてしまいます。
自己の身勝手を詭弁で言い繕い、代償は他者に押し付け、それを「正義」とか「尊い犠牲」とかいう言葉で無理やり正当化してしまうのです。
そして、一度その正当化理論が既成事実化してしまうと、暴走が始まってしまい、「行きつくところまで行ってしまう」のです。大抵の場合、その「行き着くところ」とは、「破滅」です。
銀河英雄伝説より 自由惑星同盟の政治家 宇宙暦796年、自由惑星同盟は、銀河帝国領内に3000万人規模というとてつもない大艦隊を派遣する。この派兵の理由は、「現状のままでは与党側が選挙で大敗する、という状況を、華々しい戦果を上げて覆すため」であった。だが、この遠征は送り出した人員の7割に当たる2000万人が戦死するという悲惨な結果に終わった。
銀河英雄伝説より 宇宙空間を埋め尽くす、自由惑星同盟の戦闘艦。確かに、こういう光景は、男の子なら胸が踊る。これは、いわば、「マクロの視野」である。しかし、この世界にはこれと対になる「ミクロの視野」なるものも存在する。一人ひとりの人間に、それぞれの人生がある、という、紛れもない現実である。そのことを忘却した時、人間は「醜悪な存在」に成り下がる。隕石落としのシャア‥アズナブルも、サリンを撒いた麻原彰晃も、この「ミクロの視野」を忘却して、悲劇を起こした。また、兵士に「神風」を要求した日本軍も、「ミクロの視野」を忘却していた。というよりも、「国家のため」「理想のため」という大義名分を見つけた時、人は「ミクロなど、切り捨ててしまって良いのだ」という錯覚に陥る。しそれは、「ミクロの視野」から目を逸らしただけに過ぎない。
物理法則の関係(上)と、人間世界における思想の関係(下)を表す図 現在、物理学はアインシュタインが切り開いた「相対性理論」と素粒子レベルの世界を支配している「素粒子理論」の2つの理論を統合し、この宇宙を支配する絶対の法則を見つけ出すべく、多くの学者たちが苦悩している。その回答として、現在一番有力な候補が、超ひも理論である。下段の図は、これを模して人間社会における様々な思想を当てはめてみた、簡易的な仮説である。これによると、ウヨクが正しい、サヨクが正しいという対立ではなく、両者を融合させる「新しい理念‥思想」が求められている事が窺い知れる。
この種の問題……
個人に重きを置くべきか、国家(集団)に重きが置かれるべきかという問題に関しては、物理学が素粒子理論と相対性理論を融合できずに苦闘している状況に酷似しているように思います。
全く異なる理論を結びつけることは、とても難しい問題です。
けれど、難しいからって、そこから目をそらして、一方の理論だけをまくし立てても、間違った答えしか出てはきません。
少なくとも、物理学の分野においては、全ての科学者が、現状が不完全であることを認めています。
物理学の世界において、四分野を統合する公式を発見しうるのは、この四分野に対して精通している者のみです。相対性理論をどこまで掘り下げても、全ての分野を統合しうる「真理」に到達することはあり得ません。同じように、素粒子の世界だけを追い求めていても、「真理」にたどり着くことはあり得ません。
これと同じように、私達も「個人の論理」「国家の論理」の何れかに偏ることが、間違った答えにしたたどり着かないということを、しっかりと認識するべきです。
つづく

銀河英雄伝説より ヤン‥ウェンリー 「不敗の魔術師」、「ミラクル・ヤン」と言った異名を持つ、幾度となく絶体絶命の劣勢を覆し、生涯に渡って「無敗の将」であり続けた《変体将軍》、もとい、「相当な変わり者の将軍」(あんまり変わらん)。彼は自由と民主主義を愛し、それを破壊する戦争を憎んだ。そもそも、そういう人間のくせに戦争が嫌いなのに軍属になってしまった時点で《変体》である。戦場では、敵に勝利することよりも、如何に部下を死なせないかを再優先に行動してきた。劣勢下にありながら、常に不敗であり続けた彼は、当然のように出世を続け、それ故に戦場に送り出されてしまうという、悪循環に落ちってしまう。その有能さ故、地球教団の暗殺者によって殺害され、短い生涯を終える。生前の彼は、銀河帝国陣営にとって、最大の敵と目されていたが、魔法のようなその鮮やかな手腕は、同盟陣営以上に高く評価されており、銀河帝国内にローエングラム王朝を打ち建て、初代皇帝ラインハルト1世となったラインハルト・フォン・ローエングラムにとって、ヤンは、「評価する」といった単純なレベルを超越し、自らと同じ水準にある、唯一の理解者のような存在であった。もし、彼の存在がなかったら、「銀河英雄伝説の物語は、ラインハルトが一方的に勝ち続ける、薄っぺらい作品になっていた」ことは、疑う余地がない。
この記事は《そして、《変態》という人種が生まれた――⑯》の続きです。
銀河英雄伝説という漫画(原作は小説)は、非常に人気のある作品です。発表されてからかなりの年月が経ちましたが、今も大勢の根強い支持者がいます。
そんな銀河英雄伝説という物語(人気)を支えている、大黒柱のような存在が、このヤン・ウェンリーという人物です。彼は一種の奇人であり、戦争において「敗北」の二字を知ることなく生涯を終えた、戦争の天才児でした。しかし、それ以上に、彼は戦争を嫌いました。
ドラゴンボールのような「バトル物」でしたら、「喧嘩は嫌いだけど強い」というキャラクターは、存在として説得力を持ちにくいですが、「戦争は嫌いだけど、戦術‥戦略に関しては天才的なセンスを持つ」というのは、さほど不自然さを感じません。
学生時代、友人にこの銀河英雄伝説の小説を貸してあげたら、ものすごく嵌ってしまって、「疾風のウォルフ!!」とかなんとか、事ある毎に叫んでいた奴がいましたが。
男の子だったら、宇宙空間に敵味方の大艦隊が整然と隊列して、お互いにビームやミサイルを射ち合って戦いを繰り広げる、というのは、当然のように憧れるものと思います。
(私の世代だと、『DAIVA』なるコンピュータ・ゲームの影響もかなりあったと思います)

DAIVA (T&Eソフト) より 当時としては爆発的に売れたハイドライドというゲームを放ったT&Eソフトが、1980年台の中頃に発売した戦略ゲーム。様々なコンピューターや、コンシューマーであるファミリーコンピューターでも発売された。単なる移植と違うのは、それぞれが艦隊を他の星系に送り出すことでパスワードを取得することが出来、このパスワードを他のマシンに入力することで、ゲスト艦隊を招くことが出来たこと。また、惑星攻略はアクションゲームとなっていて、ゲスト艦隊を招いていると、2人で協力して惑星戦を繰り広げることが出来た。当時としては、かなり凝った仕様のゲームであった。音楽用カセットテープにダビングしたゲームがひとつ5000円ぐらいだったので、当時のゲーム業界は、ヒット作がひとつ出ると、儲かって儲かって、笑いが止まらなかったと言われていますが……
子供の頃(若い頃)は、そうやって、戦艦同士が戦って、次から次へと爆発して宇宙の藻屑と消えてゆく光景を「カッコいい!!」と無責任に喜んでいられます。
(ガンダムのモビルスーツ戦闘なんかや、現実の戦争も同じです)
年を喰うと、その中にいる、大勢のことを考えてしまうようになります。
たとえば、銀河英雄伝説に登場する戦艦は、一隻あたり約720名のクルーによって運用されます。巡洋艦だと、その半分から1/3だと思われます。
一回の戦闘で、1万隻が沈むような戦闘は、この物語では珍しくもない戦い、という扱いなのですが……
仮に、戦艦2000、巡洋艦8000が沈められたとすると……
一回の戦闘で死者数は400万(!!)
広島、長崎の原子爆弾による死者数の20倍ぐらい?
どう考えても、馬鹿の垂れ流しです。
※ただし、銀河英雄伝説の戦史などで発表されている戦死者数は、ここまで大きくなりません。これは、割と知られている話らしく、設定のミスということらしいです。(殆どの船は、圧倒的に定員を割り込んだ乗員数=1/4ぐらいで運用されていたと仮定すると、いい感じの数字になります)
乗員は規程の1/4で無理やり運用しているという前提で計算しなおしても、
一回の戦闘で死者数は100万(!!)
考えなおしたけど、やっぱり馬鹿の垂れ流しのままです。
銀河帝国の圧政がイヤで逃げ出したのに、一回の戦闘で100万人死ぬような戦争状態のまま、長期に渡って均衡するという状況しか生み出せなかったって……
こんな状況を容認している銀河英雄伝説の世界の貴族とか政治家(及び政治家を選んでいる国民)は、頭おかしいでしょ。絶対。
年を喰ったせいか、この手の戦争に、拒絶反応が出てきちゃうんですよね。
でも、銀河英雄伝説は、小説(漫画・アニメ)だから、許せます。
というか、楽しめます。
ガンダムも同じです。架空の世界の出来事だから、冒頭からコロニー落としで「開戦当初の一ヶ月間で総人口の半数が死に〜」とかサラッと言われても、受け入れられます。
ゲームもいいでしょう。
(私もそういう、人がいっぱい死ぬようなゲームでも遊びますし)
けど。
現実でそれをやったら、人間失格でしょ。
私達は、小説を読みながら、あるいは、漫画やアニメを観ながら、「ヤン‥ウェンリー」の言葉の一つ一つに共感し、自分の保身しか考えない政治家や、貴族たちを軽蔑します。
ところが、現実の世界において、しばしば私達は、そんな軽蔑したはずの《自分の保身しか考えない人種》と全く同じことをしてしまいます。
自己の身勝手を詭弁で言い繕い、代償は他者に押し付け、それを「正義」とか「尊い犠牲」とかいう言葉で無理やり正当化してしまうのです。
そして、一度その正当化理論が既成事実化してしまうと、暴走が始まってしまい、「行きつくところまで行ってしまう」のです。大抵の場合、その「行き着くところ」とは、「破滅」です。

銀河英雄伝説より 自由惑星同盟の政治家 宇宙暦796年、自由惑星同盟は、銀河帝国領内に3000万人規模というとてつもない大艦隊を派遣する。この派兵の理由は、「現状のままでは与党側が選挙で大敗する、という状況を、華々しい戦果を上げて覆すため」であった。だが、この遠征は送り出した人員の7割に当たる2000万人が戦死するという悲惨な結果に終わった。

銀河英雄伝説より 宇宙空間を埋め尽くす、自由惑星同盟の戦闘艦。確かに、こういう光景は、男の子なら胸が踊る。これは、いわば、「マクロの視野」である。しかし、この世界にはこれと対になる「ミクロの視野」なるものも存在する。一人ひとりの人間に、それぞれの人生がある、という、紛れもない現実である。そのことを忘却した時、人間は「醜悪な存在」に成り下がる。隕石落としのシャア‥アズナブルも、サリンを撒いた麻原彰晃も、この「ミクロの視野」を忘却して、悲劇を起こした。また、兵士に「神風」を要求した日本軍も、「ミクロの視野」を忘却していた。というよりも、「国家のため」「理想のため」という大義名分を見つけた時、人は「ミクロなど、切り捨ててしまって良いのだ」という錯覚に陥る。しそれは、「ミクロの視野」から目を逸らしただけに過ぎない。

物理法則の関係(上)と、人間世界における思想の関係(下)を表す図 現在、物理学はアインシュタインが切り開いた「相対性理論」と素粒子レベルの世界を支配している「素粒子理論」の2つの理論を統合し、この宇宙を支配する絶対の法則を見つけ出すべく、多くの学者たちが苦悩している。その回答として、現在一番有力な候補が、超ひも理論である。下段の図は、これを模して人間社会における様々な思想を当てはめてみた、簡易的な仮説である。これによると、ウヨクが正しい、サヨクが正しいという対立ではなく、両者を融合させる「新しい理念‥思想」が求められている事が窺い知れる。
この種の問題……
個人に重きを置くべきか、国家(集団)に重きが置かれるべきかという問題に関しては、物理学が素粒子理論と相対性理論を融合できずに苦闘している状況に酷似しているように思います。
全く異なる理論を結びつけることは、とても難しい問題です。
けれど、難しいからって、そこから目をそらして、一方の理論だけをまくし立てても、間違った答えしか出てはきません。
少なくとも、物理学の分野においては、全ての科学者が、現状が不完全であることを認めています。
物理学の世界において、四分野を統合する公式を発見しうるのは、この四分野に対して精通している者のみです。相対性理論をどこまで掘り下げても、全ての分野を統合しうる「真理」に到達することはあり得ません。同じように、素粒子の世界だけを追い求めていても、「真理」にたどり着くことはあり得ません。
これと同じように、私達も「個人の論理」「国家の論理」の何れかに偏ることが、間違った答えにしたたどり着かないということを、しっかりと認識するべきです。
つづく
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