(政治・経済)「李下に冠を正さず」「瓜田に履を納れず」

susa

(政治・経済)「李下に冠を正さず」「瓜田に履を納れず」

森友学園、というか、政治全般について、我慢できないので、ちょっと書きます。

真冬の食べるものが少ない時期には、カラスなんかが、少ない食べ物をめぐって、
ものすごい喧嘩を行うんですが。
今の政治、並びに、政治について「勝った」「負けた」で騒いでる人達は、
そういう【動物】と同レベルに見えます。

おもちゃの奪い合い_s

おもちゃの取り合いをしている保育園児 より


あるいは、おもちゃを奪い合って、殴ったり噛み付いたりするような、幼児並に見えます。

民主政治は、結果以上に「プロセス」が大切なんだけど。
(例え結果が失敗しても、プロセスが明らかならば問題点を修正して、次に活かすことができるが、プロセスが不透明だと、修正のしようがないから。科学実験なんかと同じ。政治ってのは、何でもかんでも変えれば良いってもんじゃなく、ちゃんと、後々の世代のために「お手本」を残す事が大切なんだけど、それが全然出来てない。みんなして、「今」と「自分」のための政治を行っている)

いまは、みんな、「勝ち負け」に異常に固執していて、
勝つためなら、何でもあり。
負けないためなら、なんでもあり。
な状態になってしまっていますね。

民主党政権時代、
「この責任をとって、今後も職責を果たしてゆきたい」
みたいなおかしな発言が飛び交うようになって。
「終わってる……」っておもったんだけど。
安倍政権の酷さは、民主党の比ではないです。
(特に、支持者の方々が劣悪です)

「李下に冠を正さず」という言葉がありますが。
この言葉が政に携わる者の心構えとして基本中の基本だと思うのですが、そういうのが、完全に日本政治からは失われていますね。

支持者の目線から見たら「指導力がある」ように見えても、支持しない人々から見たら、単なる「わがまま」で「無責任」にしか映らないことは、ままあります。
だから、

「李下に冠を正さず」
の心がけが重要になってくるのですが……


酷い有様です。

私は一時期、チャンネル桜ってところのサポーター(月に1万円払う)をしていて、そこには安倍首相も時々出演してたんですが。

当時は、ものすごく「立派なこと」を仰っていたんですがねぇ。
どの口が喋っていたんでしょうかね?

バガボンド「ありがとう、武蔵」s
バガボンド より 
十文字鎌の使い手である胤舜と武蔵の対決の場面
まだ「強さ」のみを追い求めていた武蔵は、この戦いで様々な卑怯な技を繰り出すも
胤舜には全く通用せず、窮地に追い詰められ、死ぬのが恐ろしくなり無様にも勝負を捨てて敗走する。 この頃の武蔵は、決して気持ちの良い存在ではない。この勝負は、まるで今日の日本政治の醜態ぶりをそのままを写しとったものにも見える。

殆どの日本人は、「サムライ」という言葉、あるいは人種に、一種の畏敬の念を抱いています。
日本文化の誇りとして、私達は「サムライ」という言葉を使います。
ところで、日本のサムライ言葉の意味って、「詭弁を弄する卑怯で浅ましい人」
でしたっけ?
サムライってのは、主に対して忠義を尽くし、自らを常に清浄な状態に保つ。それでも疑われるようならば、身の潔白を証明するために腹を切ることさえ厭わない、何よりも名誉を重んじる人、のことじゃなかったんでしたっけ?
そして、
自らを常に清浄な状態に保つ為に「李下に冠を正さず」という心が重要視されたんじゃありませんでしたっけ?

民主主義における政治家の主君って誰でしたっけ?
国民じゃなかったでしたっけ?

でも、今の政治家の方々って、ひたすら国民のことを愚弄してませんか?

「21世紀前半の日本人は
随分とこ汚い政治やってたんだなぁ
って、後世の人々はせせら笑うでしょう。
それを恥ずかしいと感じるから、我々は「常日頃から襟を正し」「それが理解できない者には退場してもらう」のではありませんでしたか?

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Posted bysusa

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