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そして、《変態》という人種が生まれた――⑧

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そして、《変態》という人種が生まれた――⑧

アムロ・レイ「まるで僕が好きで戦っているみたいに」s
「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」より  サイド6で、フラウ・ボウに対して激昂し、思わず苛立ちをぶちまけるアムロ・レイ。

 この記事は《そして、《変態》という人種が生まれた――⑦》の続きです。

 子供の頃、私はアムロが大嫌いでした。
 無敵のガンダムを操縦できる能力がありながら、「戦いたくない」とか「疲れているんだ」とか、泣き言ばかりいうからです。
 それまでのアニメの主人公といえば、「地球を守るために命をかけて戦う」、という奉仕活動かのような方々がほとんどだったので、機動戦士ガンダムというアニメに登場するアムロ・レイという主人公の少年は、かなり異質に感じられたのです。
 ちなみに、ガンダムと出会う以前に好きだったロボットアニメはUFOロボ・グレンダイザーと超電磁ロボコンバトラーVです。といっても、小学校に上がる前の事なので、子どもというか、完全に幼児の頃の話しとなりますが。

グレンダイザー・リボルテック
「UFOロボ グレンダイザー」 海洋堂リボルテック 実は、グレンダイザーは本ちゃんの放送一回こっきりしか観たことがないので、ほとんど記憶には残っていない。ただ、母がいうには『異常に固執していた』らしい。

コンバトラーV_s
「超電磁ロボ コンバトラーV」 こちらはそれなりに覚えている。超合金魂 身長57mは、ビグ・ザムとほとんど同じ。
 こうなったら、やるしかないな。「ゴジラVSビグ・ザムVSコンバトラーV」


 今となっては、アムロの年齢の倍どころか三倍(!)という真っ赤なおっさんなわけですが、少年時代のアムロに対する嫌悪感などは全く無くて、むしろ「コイツはいい子だ」としか感じません。
 ダメなのは、むしろシャアの方です。
 シャアは、ひねくれ過ぎてます。

 シャアに比べたら、アムロ・レイという少年は、人格的には至極平凡極まりない《凡人》です。人格に関しては。
 ただ……
 彼の場合、どういうわけか、内に隠し持っていた戦闘センスだけが、《究極変態》でした。

 軍事学の常識の一つに、「戦術の失敗は戦略で挽回することができるが、戦略の失敗を戦術で挽回することは出来ない」というものがあるのですが。
《究極変態》であるアムロには、そういう常識は関係ないんですね。
 この人は、飛行中の核ミサイルの弾頭だけを、器用に切り落とす、なんていう、
あり得ない事を平然とやってのけてしまいます。
(アムロの飛行中の核ミサイルを切断して弾頭だけを切り離すという曲芸かなければ、オデッサの陥落はありませんでしたし、レビル将軍は戦死していましたし、レビル亡き後の連邦軍の実権を誰が握るかによっては、そのまま連邦軍が敗北を認める形で和平交渉、という流れだって十分にあり得ました)

 また、アムロという少年は、戦闘中に「そこ!」とか「つぎ!!」とか叫んでトリガーボタンを押すと、何故か必ず弾が(ビームが)敵に命中するという、とんでもない特技があります。後ろから攻撃されようが、左右から挟み撃ちにされようが、全部撃墜してしまうんです。
《究極変態》なので、相手が何をしようが、関係ないんです。
 モビルスーツに初めて乗った時から、ずっとそうなんです。
 かと思ったら、モビルスーツを降りても、生まれて初めてやったフェンシング(実剣)で相手の脳天を貫いちゃうんです。
 シャアとアムロがアバ・バオア・クーの内部で肉弾戦を繰り広げたのは宇宙世紀0079-12-31。
 アムロが連邦軍の試作モビルスーツガンダムに乗って初めて戦闘を行ったのが0079-09-18。
 わずか3ヶ月半の間に、スポーツなんかと一切縁がなかったヲタク少年が、ここまで変わってしまうんです。
(たとえGoogleアドセンスのNGコードに引っかかろうとも)
アムロには《究極変態》という称号が相応しいんです。
 
 といいますか。
 そもそも、アムロって、「ニュータイプ」なのでしょうか?

 ジオン・ズム・ダイクンの提唱した「ニュータイプ」とは、「解り合える人」です。
 解り合う、とは、「争いをしない」という事です。
 アムロ‥レイは、『争いをしない』どころか、その真逆の、「争いの人」なのです。

「まるで僕が好きで戦っているみたいに!」「僕はいつだってコワかったさ!!」などと口では否定しますが、『嫌よ嫌よも好きのうち』という奴で、彼は自ら望んでガンダムに乗り、戦場で血みどろの殺し合いに明け暮れます。
 人間が死ぬこと、人を殺すことに対して、確かに強い抵抗はあるのですが、同時に『誰よりも強い戦士』という状態を、彼は自身のアイデンティティーにしてしまっているのですゅ

 それが悪いと言っているのではありません。
 男の子なんて、そんなものです。
 中学生、高校生の年齢になれば、男の子の多くが『強い男』になることに強く憧れますし、その何割かは弱い者いじめなどをして、『強い自分』に酔いしれたりもします。

 ただ、『ニュータイプ』とは、そういうった人種を刺す言葉だろうか?
 と考えた時、『そうじゃないだろ』という結論にたどり着くのです。
 アムロは確かに、人類の中の突出した変種であるに違いありません。
 しかし、変種であれば、すべてが『ニュータイプ』だというワケではないはずです。
 やはり、アムロ・レイという少年は、戦闘能力が異様に突き抜けてしまった
《変態》と呼ぶほうが、現実に即しているように思われるのです。
 ただし。

 一年戦争の最終決戦、ア・バオア・クー要塞攻略戦において大破したガンダムを放棄し、宿敵シャア・アズナブルとの肉弾戦も終えたあと、ほんのつかの間、彼は『真のニュータイプ』
とはどのような存在であるのか、その可能性を存分に見せつけます。

大破して放棄されたガンダム
『機動戦士ガンダム』より 戦闘能力を失い放棄されたガンダム これで戦いの日々からようやく開放された


 共に戦ってきたクルーたちに、避難するように呼びかけ、無事に逃げるにはどのタイミングでどのような経路をたどるのが良いか、一人ひとりの心に直に語りかけ、自らも、炎上するア・バオア・クーの迷路のような通路を抜けて、無事に仲間のもとまで帰り着くという、奇跡をやってのけるのです。

ランチの仲間たちと合流するアムロ_s
機動戦士ガンダム THE ORIGINより 先にア・バオア・クーから脱出した仲間たちと合流するアムロ この光景は、戦いの中で異常に研ぎ澄まされ、いつしか仲間たちとの距離も遠ざかってしまったアムロが、孤立の道を修正し、再び仲間たちの元へと帰っていった、というようにも解釈できる

 アニメのガンダムは、ひとまずここで完結しました。
 すべてがこれで終わっていれば、未来に対して大きな希望が見える、感動のエンディングとなったわけですが、後年、『大人の都合』というか、『企業の論理』というか、続編のZガンダムという作品が作られ、当時私達が託した夢は、最悪の形で裏切られることとなりました。
 私達の前に再び現れたアムロ・レイは、『人類のあるべき姿』などは全く示してはくれておらず、生きる目的を見失ってしまっていました。
 そして、その状況から抜けだしたかと思えば、今度は『いつ終わるともしれない戦い』に身を投じてしまいました。

 結局、彼が生涯の中で、『ニュータイプ=誤解なく人と解り合える』であれたのは、一年戦争の最終局面、ア・バオア・クーから脱出するさいの一時と、地球に落下するアクシズを押し戻そうとしてサイコフレームの光の中に溶けていってしまった時の、二度しかなかったのかもしれません。

(おそらく今回の話はものすごく不評でしょうが、それでも)
つづく

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Posted bysusa

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