そして、《美男》、《美女》という存在が生まれた――⑥

susa

そして、《美男》、《美女》という存在が生まれた――⑥

更に深い闇の歴史_
今回は、人類が《美男》、《美女》になった、更に深い闇の側の事情です。

 この記事は《
そして、《美男》、《美女》という存在が生まれた――⑤》の続きです。

人奴隷の競売-s
絵画「
白人奴隷の競売 」

 貨幣と物の交換が当たり前の世の中になると、人間は、ありとあらゆるものに対して「値段」がつけるようになり、当然のように、この値付けは人間に対しても行われました。

《美しさ》が異性を十分に惹きつける様になっていたので、美しい女性(時には男性も)には、宝石と同様、高い値段が付けられました。

 同時に、人間は人間という商品に対して、「労働力」という意義も見出しました。
 農業や畜産は、特に膨大な労働力無しには成立しません。
 美しかろうが美しく無かろうが、大抵の場合、「人間という商品」には、一定の値段はつきました。
 そう。
「奴隷」です。

 人間は、人間によって家畜化され、現代人が鳥や豚、牛といった家畜を「より美味しく」「より扱いやすい」血統を探し求めて品種改良を重ねるのと全く同じ動機から、保有する奴隷に対して、「より美しく」「より従順に」を求めました。

 前回、「親が我が子を手放さなければならない時に、手元に残しておく子供の基準に《美しさ》が関係していた」と書きましたが、それは、純粋に可愛らしい(愛情を深く注いでいた)から、という他にも、《いざとなったら、可能な限り高く売れる方を手元に残しておく》という打算も、心の片隅にあった筈です。

 おそらく、縄文期の日本に「奴隷」は存在しませんでした。
(縄文時代の貝塚から、埋葬されずに捨てられた人骨が発見されたので、「奴隷」が存在していたのではないか、という説を唱える方も居ますが、埋葬するに値しないような「重犯罪者」だったのかもしれないし、その辺と所正確には判りません。ただ、縄文時代型の生活に、《奴隷》がいても、使い道がないです。させることがないのに、奴隷なんて所有しても、意味がないでしょ? 神話のイザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、ツクヨミの世代に、「奴隷」を連想させる記述もありませんし)

 しかし、弥生時代に入ると、日本でも「奴隷」を使う様になります。
 本格的な稲の栽培を始めたからです。
(縄文時代にも稲作自体はありましたが、よほど条件の合致したところで、小規模に行われていただけでした)
 人力による稲作は過酷な重労働です。
 苗を植えたり、刈り取ったりは勿論、雑草を毟ったり、開墾、水路の維持管理などは、それこそ莫大な労力を必要とします。(現代のコンバインやトラクターは、たった1台で数十人分、あるいはそれ以上の働きをします)
 また、文献には「奴隷」達を中国に献上品として送った、というような記述もあります。

 農業や畜産、あるいは商業が文明であるというのであれば、文明の発達が、「奴隷狩り」や「戦争」を、世界中の何処にでもあるありふれた光景に変えてしまったのです。
 弥生時代に日本国内で、ムラムラが武装するようになったのも、「襲われて、さらわれて、奴隷にされたくない」という理由が強く働いたのでしょう。
 どこかの集団が「奴隷狩り」を始めると、それは周囲にも伝播するのです。

「奴隷」を扱う様になると、人間の心には変化が生じます。

 自分は悪くない。
 悪いのは奴隷達だ。
 奴隷達は、人間として劣っているのだ。
 奴隷とは、家畜なのだ。人間ではないのだ。

 そうやって、自身を正当化します。
 人間は、自分を正当化しなければ居られない生き物で、他人が聞いたら狂気としか思えない様な荒唐無稽な理論すら、平然と構築してしまいます。

 そして、この「狂気」によって、社会の殺伐かが加速度的に進行してゆきます。

 古代人の多くは、成人したり結婚したりすると、身体に入れ墨を入れる風習を編み出しました。美しい容姿を、あえて入れ墨によって台無しにしてしまうのは、いかにも不可解に思えます。

刺青をしたアイヌ女性_s
既婚の証として顔に刺青を入れたアイヌの女性。

 入れ墨をすれば「魔除け」の効果があるのだそうですが、それでも、せっかくの美男、美女が台無しになってしまうのは、もったいない気がしますが、《拉致や誘拐から身を守る為、あえて自ら進んで商品価値をなくしてしまえ》という戦術だったと考えると、納得がゆきます。
《美しさ》故に奴隷商人達に目を付けられて拉致られて、家族と別れ離れになって、売り飛ばされた先で惨めな生涯をおくるより、《あえて醜くなって》、何時までも家族の側にいられる方が、遙かに幸福でしょう。

 そう考えると、古代人達が入れ墨をしてでも遠ざけたかった《悪霊》の正体は、「欲に目がくらんだ人間達(人間の心を捨ててしまった達)」ということになりますね。

 そして、残念なことに。
 21世紀の現在もなお、「奴隷」は存在しています。
 その数は、一説によると推定で4500万人程で、大半は未成年者と女性だそうです

 また、「技能習得」を名目に日本に連れてこられて働かされる「技能実習制度」は、明らかに、現代における「奴隷」と言えるでしょう。(なお、この「技能実習制度」は上の数字にはカウントされていないと思われます。つまり、4500万人という数字は、抜けが多いのです)

 その上で。
「現代の奴隷」は、今なお、増加しつづけています。
 なぜ増えるか、というと、「資本主義」とは、そもそも、そういうものだからです。

 経済を活性化すればするほど、勝ち組と負け組が二分化され、負け組はどんどん悲惨な生活を余儀なくされ、「自分(あるいは自分の子供)を売って、幾ばくかのお金を得る」人々が出てくるのです。そうして、世界中に「お金によって経済システムの支配下に置かれた人」、すなわち、「奴隷」が溢れ出すのです。

 だから、私は「経済最優先」「経済活性化」といった政治用語が大嫌いですし、自民党政権を支持しません。

 そもそも、私たちは、「お金持ちになって、贅沢な暮らしをしたい」と願っていたのでしょうか? それとも、「お金に支配されるような苦しみのない世の中にしたい」と願っていたのでしょうか?

 最初は、明らかに後者だったはずです。
 ところが、いつの間にか、
「お金に支配されない為には、お金持ちにならなければいけない」というワケの判らない理屈が幅をきかせる様になり、「なんでも民営化するのが正しい」と「共有物だったものを、ひと握りのお金持ちに売り渡し」気がついてみたら、「特権とお金を有する、貧しい人を見下す側」と「奴隷」とに二分される社会を目指しています。

 愚か、以外の何物でもないと思います。

 太平洋戦争を、「植民地を解放するという大儀を掲げた正義の戦争だ」と主張する人々が居ます。
 それはそれで、構いません。
 ですが、今の日本は、極一握りの人達の為に、「世界中を植民地化する」方向に突き進んでいます。
 そして、今日の政治に賛美を贈る人々が、同時に、「日本の戦争は正しかったんだ」と主張するのです。

 いやいやいやいや。

 自己矛盾に気がつきましょうよ。
 もう少し、賢くなりましょうよ。

 貴方がやっていることは、かつて祖先達が憎んだ、「植民地化」そのものじゃないんですか!?
 ご先祖様の一番の敵は、貴方ですよ。そんな事も判らないのですか?

 って話しです。

 大人になるってことは、欲望を抑えることが出来るようになることでしょ?
 なのに、欲望をむき出しにすることを、みなで喝采して、どんどん、獣へと近づいてゆくのです。

 にもかかわらず、人間は巧みに「自己正当化」して、自分を欺いてしまいます。お金持ちになった自分は、素晴らしいエリートなのだ、と自惚れることで、事実から目をそらしてしまうのです。

 政治のやっていることが、すでに、奴隷商人と同じところに落ちてしまっているというのに、「外国の脅威」とか「愛国心」とかいう巧みな論点ずらしを行われると、すぐに本質を見失ってしまい、本当の問題がどこにあるか、わからなくなってしまう人があまりにも多すぎるのです。

 社会から不幸を無くすことが政治の使命だったはずなのに、政治家や経済界の人々は、下手な言い訳を用意して「不幸なんてないことにしてしまう(だから、お金持ちは何をしてもOK)」という、欺瞞の道を邁進しています。

現代の奴隷商人達s
ノーコメント


 そして、そういう正しいとか間違っているとか、幸福とか不幸とかいう物差しとは全く違う処で、人間の「美形化」は、不条理に対する涙や嘆きの声とともに進行してゆくのです。

 その辿り着いた究極の終着点が、「整形美容」。

 なんだか、人類に対する神様からの痛烈な皮肉に思えます。
(外面だけは綺麗に整えたね)
 ってね。

 ハハハハハハハハハ。
 いや、笑い事じゃない。

《番外編》に続く。

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply