人類の知性の起源ーその③

susa

人類の知性の起源ーその③

 この記事は《人類の知性の起源ーその②》の続きです。

 ところで、5万年より古い時代に人類を苦しめていた過酷な環境は、冒頭に話した、「アフリカの恵まれない子供達」を苦しめている状況に瓜二つだと思いませんか?

 人間は、満足な食事にありつけず、周囲で争いや災害が繰りかえされているようなところにいると、あっという間に心を病みます。思考は停滞し、感情は希薄となり、生きる気力を失います。
 そして、「ただ、生きているだけ」の状態となります。
 ですが、この思考の停滞、感情の希薄化は、地獄の様な状況下でも、「ただ、生きてゆく」事を可能とする、一種の自己防衛でもあります。
 知能や感情の放棄と引き替えに、ある程度までの不幸に耐えられる状態になるのです。

 つまり、人類は5万年前に、脳が飛躍的に発達した、という訳では無いのです。
 それよりも以前から、人類は十分な知性のポテンシャルを持っていたのです。ですが、人類全体がずっと長いこと、「鬱」だったのです。
 5万年前、人類は、どうにかこうにか、鬱から脱却する好機を掴み取ることが出来ました。そして、その後も、人類は武器や道具の改良や、煮炊きといった全く新しい調理法、犬との共生、弓矢や釣り針の考案、あるいは危険な肉食動物の駆除といった事を通じ、自分達を取り巻く環境を少しずつ好転させてきました。
 それが、人類の文化水準を向上させてきたのです。

 ですが、人類は戦争等によって、自ら食糧不足と強いストレス状態を作りだし、自分自身の手によって人類の文化水準を後退させる、ということもしました。これらは、文化を破壊し、精神状態をかつての「鬱」に戻してしまうのです。
 要するに、人類に知性を授けたのは、「ゆとり」や「余裕」なのです。

 人類は、「弱肉強食」の世界から開放されたことで、

 つかの間かもしれませんが安息の時を手に入れ、

 その間に高度な知能を開花させ、

 それが実を結んだものが、のちの世の、文明や文化なのです。

ヤンウェンリー「たかだか何十年かの平和」

 原作田中芳樹氏、作画藤崎竜氏 漫画「銀河英雄伝説」から引用
 セリフの人物は、不敗の魔術師、ヤン・ウェンリー

 ところで。
「競争社会」という言葉がもてはやされる様になって久しいですが、「競争」は、大局的に視て人類にプラスでしょうか、マイナスでしょうか?
 私は、明らかなマイナスだと考えます。
 1%の勝ち組、といわれる人々を除く99%の人類の知的水準を押し下げるからです。

 グローバル経済によって、富の一極集中が進めば進むほど、社会は豊かになるどころか、その真逆である植民地時代と同じ構造に陥り、これによって人々の知的水準は低下します。あらゆる物の解釈が富める者達に都合良く変更され、「力こそ正義」という理論の元で文化は喪失し、人々は加速度的に不幸になって行くでしょう。

 現在、右翼(保守を自称する人々)の方々は、この「グローバル社会」を大歓迎している様に思えます。ですが、彼等は同時に、「かつて大日本帝国は、欧米列強の植民地支配と戦った」「だから、日本は正義だった」という主張もしています。

  • アベノミクスの実態
「よくわかるアベノミクス理論」というタイトルの画像から引用

小林よしのり戦争論より
小林よしのり氏の漫画「戦争論」から引用

 この、全く矛盾した2つの行動原理に対して、同時に賛辞を送っている安倍政権の支持者は、どう考えても頭の構造に異常があります。

「植民地政策(グローバリズム)」を絶賛する一方で、「植民地政策と戦った人々」を絶賛する。
 これって、相当に異常な行動だと思いませんか?
 私が安倍総理を見限ったきっかけが、まさにコレでした。
 2013年10月1日の消費税増税引き上げの発表。
(現実を見る限り、消費税は国民福祉のための財源ではなく、企業減税の穴埋めのために用いられていることは、子供でもわかる話です)
 企業(株主=富裕層)を助けるために増税を行う。こういう事こそ、帝国主義(植民地セ作)の本質であり、それを嫌っていたはずなのに、なぜか、帝国主義的(植民地政策的)な政治に回帰してしまう。
 私は、この矛盾を「気持ちが悪い」と感じました。

 ですがその後も安倍総理を支持し続けている方々は、この矛盾した二つの主張に対して、違和感を全く感じていないようです。
「植民地政策」を絶賛するならば、「欧米列強の植民地支配からアジアを開放した」等と、恥ずかしくて絶対に口が裂けても言えないはずなのに、平然と言ってのけてしまうのです。

 これこそ、「知的水準の低下」の成せる技です。
 一旦知的水準が低下してしまうと、自己矛盾に気がつくことも出来なくなって「道徳」が失われるのです。そして、社会は「無法地帯化」してゆきます。

 グローバリズムと植民地政策は、同じものです。
 ですが、ご覧の様に、言葉としては全く違ったものです。

 巷に溢れる「グローバリズム」という言葉を、「植民地政策」に置き換えてみると、世間で罷り通っている議論が如何に狂っているか、実感出来ると思います。
 実感出来てしまうと、自己矛盾に陥ります。そして、「本当にあるべき姿」を模索することになります。ですが、これが出来るのは、一定以上の知的水準を保てている人間だけです。
 知的水準が低い人は、「グローバリズムを絶賛しながら、植民地政策を批判する」という、矛盾した事を行えてしまうのです。

 おそらく、5万年前、豊かになった人類は、生きる為ならば何でもアリという「無法状態」を抜け出して、一定の「道徳」を手に入れたのです。

 逆に、現在の我々は、自分の得になるのであれば、嘘をつこうと矛盾していようと、何でもアリという「無法状態」に突入してしまい、ある程度の「道徳心」を失ったのです。
(時間と共に、搾取する側の道徳心はどんどん失われてゆき、搾取される側の心はどんどん凍りついてゆきます)

 ところで。
「針」を考案したデニソワ人は、その後、この知識をどう扱ったのでしょうか?
 こっそりと自分達だけの「秘伝の技」として独占し、製造した防寒具や手袋やブーツを取引材料として、相手から大量の貴重品や食料等をせしめ、富を蓄え、優雅な暮らしを行ったのでしょうか?
 それとも、対価をとることなく皆にこの知識を伝え、皆と共に恩恵共有したのでしょうか?

 この辺りの事は、皆さんの想像にお任せします。

 そして、ただ事実として。
「針」は発明されてから五万年経った現在も、当時と全く構造的に変わることなく、現代の私たちの暮らしを支える、不可欠なものとして存在し続けています。

 この話題は、ひとまず終わり。

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Posted bysusa

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