スサノオは一万歳――その⑤(続きはあるけど最終回)

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 スサノオは一万歳――その⑤(続くけど最終回)

(この記事は《 スサノオは一万歳――その④》の続きです) 


 縄文期の社会の主役は、女性です。
 命を張って戦っているのは、男ではなく女でした。
 その戦いとは、殺し間ではなく、命を生み出すこと。出産でした。
 この戦いには男は無力で、だから男性が女性に対して威張れる道理は何処にもありませんでした。
 女性が社会の中心で、女性が世界の太陽でした。


 実際、イザナミとイザナギの部分に、イザナギに活躍の場面は見当たりません。
 命を落とした妻の事が忘れられずに、女々しく逢いにゆくものの、最愛の妻の変わり果てた姿に仰天して逃げ出す。泣き叫んで、逃げ惑う。そんな、情けない存在です。
(でも、それが、当時の男性の実体であり、本音の姿だったのだろうと思います)

 ですが、スサノオの物語は、一人の男性の成長物語です。

 女性=太陽という図式に対して縄文男性が打ち出した解答は、男性=雲でした。
 考えようによっては、雲は、太陽よりも遙かに強力です。

 どんなに強い太陽の日差しも、雲がその気になれば、地上には届きません。
 どんなに太陽が輝こうとも、雨という恵みがなければ、植物は育ちません。

 女性に対して引け目を感じていた縄文期の男性達は、このスサノオというキャラクターの確立によって、随分と救われたのだろうと思われます。

 その後、縄文男性は自らを「雲」に見立てる様になりました。

 そんな彼等が、やがて作った一大連合組織こそが、「出雲」です。

いずも


 当然ですが、出雲の「雲」が意味するところは、「スサノオ(雲)」です。
「スサノオの国」という意味です。

 大和朝廷に抵抗し続けた「土蜘蛛」も、本来の意味は「土雲」だったのでしょう。
 冨士山から吐き出された、噴煙。
 つまり、彼等は「自分達はスサノオの末裔である」あるいは「我こそはスサノオである」と主張していたわけです。

 もうお判りだと思いますが、スサノオ神話のモデルになった人物は居ないものと思われます。冨士山の生い立ちを擬人化したと考えられるからです。
 ですから、「スサノオ」は特定の人物を指すのではなく、「英雄」や「救世主」、「勇者」、あるいは「サムライ」という言葉と同じ代名詞です。
(当然ですが、誰かが自らを「スサノオ」と自称しているような場合は、その人物を指す名称になります)

 とはいえ、「スサノオ」を自称した人物は、歴史上(歴史の影で)無数に存在するものと思われます。スサノオの霊が現れた、みたいな話しも、方々で耳にします。
 私自身も、「スサノオ」の経験者の一人です。(私の場合は、「神懸かり」でスサノオをやりました。基本的にあべこべの、いじめられっ子のスサノオでした。そもそも、このブログは、その時の体験を書く為に始めた物でした。四三二一〇は、「黄泉路秘話」と読ませていますが、「スサ大王」とも読むのです)

(続くけど最終回)

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