スサノオは一万歳――その②

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スサノオは一万歳――その②
(この記事は《
スサノオは一万歳――その① 》の続きです

富士山バンバン
 人は、その様な大きな事件を物語として後世に伝えます。
 そして、日本の縄文期、いまからざっと一万年前、「冨士山誕生」という、日本列島上における世紀の大イベントがあったのです。
 この大事件を、縄文人達が後世に伝えない道理があるでしょうか?
 そんなはずはありません。
 必ず、神話の何処かに書き加えたはずです。

 では、それは何処でしょうか?
 スサノオ神話です。天の岩戸閉めです。

 灼熱の溶岩に覆われた巨大な冨士山が、冷えて固まるまで、いったい何十年掛かったのでしょうか?
 温度の低下は、水や空気といった熱伝達物質の伝導率の高さと接触する表面積に比例します。蓄えられている熱量は、物体の体積に比例します。
 ですから、物体が巨大であればあるほど、表面積が小さければ小さいほど、温度の低下は遅くなります。冨士山を形成する為に流れ出した溶岩の量は莫大な量だったので、冷え切るまでには随分時間が掛かったはずです。
 表面は冷えて固まった様に見えても、亀裂の隙間からは、灼熱した溶岩が顔を覗かせています。夜中に見上げる当時の冨士山は、うっすらと赤く輝いて、この世の終わりを連想させるほど、まがまがしく見えたでしょう。

 フェーン現象はご存じですよね?
 冨士山付近、あるいは冨士山の真上を通過した風は、もの凄い熱風となって遠くまで運ばれていったでしょう。
 それは、木々の生長を長いこと阻害して、生態系再生を妨げたでしょう。
 そんな凶悪な富士山の周辺に、緑が戻り、動物達が帰り、人々が再び落ち着いて暮らせる近況が整うまで、いったい、何百年掛かったのでしょう?

 だから、誕生から長い間、冨士山は人間にとって、見るのも嫌な、呪うべき敵でした。
 出来れば見たくも、考えたくもない相手です。しかし、冨士山は日本一巨大な山です。見たくなくても、遠くからでも、その姿が、見えてしまっていたのです。
 それは、縄文の人々の精神に強い影響を及ぼしたでしょう。

 スサノオは、物語の序盤で散々ボロボロに書かれています。
 良いところがまるでありません。
 ですが、それは無理もないでしょう。
 当時の冨士山を、好きになれる人や動物が、居たはずもないのですから。

 また、冨士山の姿は、黄泉の国への入り口が、地上に現れた様にも見えたでしょう。
 人々の眼には、まるで「母親の居る黄泉の国へ行きたい」と言って泣き叫んでいる駄々っ子のように思われたのでしょう。

 この時代、母親を亡くした子供という存在が、少しも珍しい存在ではなかったことに留意して下さい。どの集落の大人達が見ても、黄泉の国を連想させるものに触れると、若くして無くなってしまった母親や、泣き叫ぶ子供を連想したのです。

 ですから、冨士山は当然、そのようなイメージを伴って「人格」が与えられて行きます。そして、縄文人は神話の中で、擬人化(擬神化)されたスサノオに、その事を語らせます。「母親の居る黄泉の国に行きたい」と。

 実際のスサノオは、黄泉の国には行っていません。
 ですからこの台詞は、物語の進行上、特に必要のないはずの言葉です。しかし、神話の中で、スサノオはハッキリと、その様に語っています。当時の人にとって、その一言が、重要な意味を持っていたからです。
 何時の時代にも、何処の集落にも、「死んだ母親に逢いたい」といって泣き叫ぶ子供が居たのです。「お母さんがあの世で暮らしているのなら、自分もそこに行く」と駄々を捏ねる子供がいたのです。
 父親に、「黄泉の国へ行ってお母さんを連れ帰って」と泣きじゃくる子供が居たから、イザナギは、三貴子を「自分一人で産んだ」事にしたのです。

 そういう子供達にとって、泣き叫ぶスサノオが「母の居る黄泉の国へ行きたい」と父イザナギに対して告げるその言葉は、スサノオと自分自身を重ね、色々な事を考える、良いきっかけとなったでしょう。

 だから、この一言を語らせたのだと思うのです。

 その③へつづく。

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Posted bysusa

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