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「やおよろずの神々」に関する考察――その⑤

susa

「やおよろずの神々」に関する考察――その⑤

(この記事は《
「やおよろずの神々」に関する考察――その④》の続きです

   1×1
 と-1×-1
 の答えは同じです。

 1が2でも3でも、10でも100でも同じ事です。
 マイナスとマイナス、裏と裏をかけたら、プラスとプラス、表と表を掛けた時と同じになります。
 それが、数学的な真理です。
 この、数学的な真理を踏まえて、話を進めます。

「子沢山」という言葉に対して、
「こどもよろず」ではなく、あえて「やおよろず」という言葉を当てたのには、それなりの理由があるのです。

《よろず》の部分は、本当は何を言いたかったのでしょう?
 先ほどの数学的真理を用いて、答えを導き出します。
 擬似的な計算を行います。

 なぜ、数学的に行うかが判らない?
 神様が、気を利かせてヒントをくれているじゃないですか。
「やおよろず」は、「八百万」です。
「数字」の謎を解く為の手段は、やっぱり、計算でしょ。

 おや×X=やお×よろず
 X=やお×よろず÷おや
 X=1×よろず÷−1
 X=逆よろず

《よろず(沢山)》の反対は、なに?

「少し」
 あるいは、
「ない」

 したがって、本来の意味は、「親なし」


 そうです。
「やおよろず」に込められていた真の意味は、「親が少ない(いない)」です。


 さて。
 日本神話の神々は、この仮説を肯定してくれるでしょうか?

 イザナミ、イザナギに、親はいません。
 この二柱の神は、宇宙の神秘の力で「発生」した神様だから、親はいません。
 だから、「親なし」であってます。
 アマテラス、ツクヨミ、スサノオは、イザナギが単身で産んだ存在なので、片親しかいません。
 だから、「親すくない」であってます。

 これまで、「縄文時代は出産で母親が死ぬケースがやたら多かった」事を語って来ました。
 子供だけでも生かすために、母親を犠牲にしての帝王切開を行なっていた、ともいいました。

 日本神話は、それを如実に反映しているのです。

 母親がわが子を生かす為に死を決意するとして、その子を虐めてしまう、不幸な未来しか予見できない社会なら、母親は、子どもと共に死んでゆく道を選んでしまうかもしれません。
 しかし、そういう形で生まれた子供に対して、集団全体が、「神様の子供」として、徹底的に面倒を見る、という体制をとっていたら、憂いを残すことなく、旅立ってゆくことが出来たでしょう。

 このことから、縄文とは、そういう思想を根幹とする文明だった、という事が解ると思います。

 さて。
 そうやってこの世に生を受けた子供たちのことを、社会は、なんと呼べばいいでしょう?
「親なし」ですか?

 そうじゃないでしょ。そんな残酷な言い方はしません。
 ひねりを加えた、気の利いた隠語が生まれるはずです。

 その言葉こそ、「やおよろず」。
 つまり、「やおよろず」という言葉が持っていた本来の意味は「母親をなくした子供」。
 だから、「やおよろずの神々」という言葉が本来持っていた意味は、「子供を生かすために、自らを犠牲にしたお母さん達」。

 転じて、「イザナミ」。

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Posted bysusa

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