イザナミとイザナギ(やや小説風)

susa

イザナミとイザナギ(やや小説風)

(イザナギとイザナミの物語の保管記事)
私の言っていることは、世間一般の日本神話像からかなりかけ離れている上に、時代設定が異なっています。(通常、日本神話の神々は鉄器が存在する時代=弥生人の格好をしていますが、私は鉄器のない時代=縄文人と捉えています)
 そういうわけで、かなり説明が多いですが、物語風にしたてたものです。


 古事記とも日本書紀とも異なる系譜の日本の神話。
 イザナミイザナギ物語。
 
 1万6千年前。
 氷河期のまっただ中の時代、現在の九州地方で姶良カルデラが破局噴火を起こした。
 この時に飛び散った大地に海水が入り込んだものが、現在の鹿児島湾である。
 その破壊力は凄まじく、人間を含め、この付近に暮らしていた多くの生物が死滅した。
 気候の変動は地球規模のものとなった。
 氷河期という、ただでさえ過酷な環境に、更に火山灰による日照量の低下が伴い、植物の生育は極限まで停滞した。草食動物達も生育が悪くなり、それを食べる肉食動物も多くが餓死した。当然、人間達の食べる物も激減し、アジア全域で、食料を求める人々による人口の大移動が発生した。
 
 中央アジアにある世界最大の淡水湖バイカル。
 かつて海溝だったというこの巨大な湖の生態系は、当時の気候変動を最も受けなかった場所の一つで、それ故に食べものを求めてやって来た人々が多く集まることとなった。
 しかし、それとて限度というものがある。
 やがて、この地域でも飢餓状態が発生するようになり、人々は、餓死をするか、あるいは、更なる新天地を求めて旅立つかの選択を迫られるようになった。
 
 当時の日本列島には、ネアンデルタール人の姉妹種であるデニソワ人が暮らしていた。
 近年の調査によって、日本人の51%が、このデニソワ人に起因する遺伝子を保有していることが判明した。ということは、日本人の約半分は、その起源の何処かにデニソワ人の祖先が居た、という事になる。
 当時のデニソワ人は、人口減少、そして奇形という深刻な問題に直面していた。
 姶良カルデラによって西日本一帯で膨大な死者を出したこともそうだが、当時の日本列島は、とにかく地震や火山活動が活発な時期であった。
 一度巨大な地震や火山の噴火が起きると、大量の死者が出てしまう。
 
 数十年、数百年後には、生き残った地域から再び人間が移住して暮らし始めるのだけれど、それを繰りかえす内に、「血」がどんどん濃くなって行く。
 そうすると、今度は「奇形」が産まれやすくなる。
 人間という生き物の繁殖戦略は、「少なく産んで、確実に成長させる」である。
 ところが、奇形児が多く生まれると、この生殖戦略が根底から揺らいでしまう。
 故に、存亡の危機に立たされていた。
 
 彼等は、海の向こうから時折やって来る異邦人との間に産まれた子供には、奇形児が殆ど生まれて来ないことを経験的に知っていた。
 故に、当時のデニソワ人達は、海の向こうからの来訪者を、決して敵とは見なさなかった。
 
 この物語で語られる、「イザナギ」という言葉は、「夫」とほぼ同じ意味である。
 この物語で語られる、「イザナギ」という言葉は、「妻」とほぼ同じ意味である。

 
 
 そのイザナギは、周囲の強い勧めから、初めのイザナミと番うこととなった。
 幼い頃から一緒に遊んだ、近い親戚の娘である。
 二人は、親こそ違うが、血の距離は近く、その関係は限りなく兄妹に近かったため、血の距離も危ぶむ距離もあったが、性格的な組み合わせは、この二人が最も相性が良さそうに見え、イザナギ、イザナミ、双方からも異論が出なかった為に、この縁組みが成立した。
 だが、生まれてきたのは奇形児であった事で、全ては御破算となった。
 次の世代、次の次に続く子供を残せてこその夫婦、だからである。
 
 それで、そのイザナギは、また新しくイザナミを貰う事となった。
 海の向こうからやって来たという一族の娘で、言葉も片言しか通じなかったが、双方とも、互いに対して悪い印象は持たなかったので、二人は番うこととなった。
 このイザナミの方は、無事に健康な子供を産んで、周囲のものを安心させた。
 
 異文化との融合は、子供だけでなく、それまでこの地には無かった、新しい風習も生み出していった。
 例えば、日本列島は、世界最古級の土器が発見された場所でもある。
 土器の発明によって、人類は食べものの煮炊きや発酵・熟成、あるいは長期的な貯蔵が出来るようになった。これによって、以前なら食べられずに捨てられていたはずの物の飲食か可能となった。このことは、食糧事情を大幅に向上させ、人口の増加や社会・文化の発展や安定に大きく貢献した。
 大仰な言い方をすれば、「イザナギとイザナミは、その様に世界を生み出していった」。
 
 だが、遂にその日(その火)がやってきた。
 
 イザナギの一族から見ると、海の向こうからやって来る人々は、何れも身体が小柄であった。もともと、人類としての系統が違うのだから、極端に差があるのは仕方がない。双方のコミュニケーションは成立しているし、子供も生まれる。そういう意味で、種の違いなど無かった、とも言える。
 ただし、二つの種の差異は、有る特定の条件下では、深刻な悲劇を発生させた。
 時折、身体の小さな女性が、大きすぎる子供を宿してしまう、という事態が発生したのだ。例え、夫の身体が小さくとも、隔世遺伝で大きすぎる子供を授かってしまう事もある。そして、子供が母親の胎内で大きく育ちすぎると、産道を通り抜けることが出来ずに、そのままでは、母子共に死に至ってしまうのだ。
 
 そして、そのイザナミも遂に、「別れの日(火)」の子供を授かってしまった。
 このことは、このイザナミの一族の方がより熟知していた。
 海の向こうでは、同じような事は珍しくなかったからだ。
 そして、イザナギの元に嫁ぐことが決まってからのそのイザナミは、密かにそのような結果になることを覚悟していた。
 
 それで、そのイザナミは、イザナギに向かってこう語った。
「お願いがあります。そこにあるナイフで私のお腹を割いて子供を取り出して下さい」
 イザナギは絶叫して返した。
「そんな事をしたら、お前が死んでしまう」
 哀しい困った顔をしてそのイザナミは言った。
「そうしなくても、私はもう助かりません。だけど、このままでは私だけでなく、お腹の子供も死んでしまいます。お腹を割いて子供を取り出せば、子供だけは助かります。二人共死んでしまうより、一人だけでも助かる方が残る方々にとっては良い結果です」
 大粒の涙をこぼしながらイザナギは言った。
「いやだ。そんな事をするぐらいなら、私もお前達と共に黄泉へ逝く」
「あなたまで死んでしまったら、残される他の子供達はどうするんですか?」
「子供達なら、きっと、ムラの皆が育ててくれるだろうさ」
「困った事を言わないで下さい。そんな事をするなら、私はあなたと縁を切ります」
 そのイザナミに別れると言われ、イザナギは号泣してしまった。
 
 そのイザナミは、優しい声でイザナギに告げた。
「子供達と、最後のお別れをさせて下さい。そして、その後でお腹の子供を取り出して下さい」
 イザナギは、もう何も言えず、じっとそのイザナミの顔を見つめ、最後にコクンと頷いた。
 
 子供達が集められ、イザナミは子供達の独り独りに、別れの言葉をかけ、最後に全員に向かって、こう語った。
「人は、黄泉の国へ行ったらしばらくの間、生きている間に堪った穢れを払い終えるまでの間、鬼にならなければなりません。もしもあなたたちが逢いに来ても、私にはあなたたちであることが判らず、喰い殺そうとするでしょう。だから、逢いに来ようなどと考えてはなりません。それから、これからあなたたちの弟か妹が産まれてきますが、その子を呪ってはいけません。その子は、あなたたちの母親を焼き殺した呪いの火ではありません。その子は、空に輝く太陽の子供です。私は、その子を産む為にこの世に産まれてきたのです。だから、役割が終わったから帰るのです。あなたたちにも、この世に産まれてきた理由が必ずあります。だから、それを果たすまでは死んではなりません」
 語り終えると、にっこりと笑い、「あなたたちと逢えて、お母さんは幸せでしたよ。だから、あなたたちも、これから素敵な人と出会って幸せになりなさい」と言って、子供達を下がらせた。
 
 二人きりになると、イザナギが呻くように言った。
「俺が悪いんだ。あれ以上、子供の数を増やそうと欲張らなければ――」
 イザナギの言葉を遮るように、イザナミが言った。
「子供を沢山産めと命じたのは、偉い神々様達ですよ。だからこの事であなたが責任を感じる必要はありません。黄泉の神様が、地上の人を黄泉に連れて行ってしまうでしょ? 女達が産む子供の数が、黄泉の神様が連れて行く数よりも少なくなると、その内に地上からは人間が一人もいなくなってしまうでしょ? 産まれてきた子供も、全員が大人に成れるとは限らないし、大人に成れたからといっても、子供を産めるとは限らないでしょ? だから子供を産める女は、バランスを考えながら、ある程度多めに産むのが勤めなのです」
「――」
 それでも何か言いたげなイザナギの言葉を、今度は仕草で制して、イザナミは言った。
「もう、お別れです。お腹の子供が、外に出たがっています。早く出して上げないと、せっかく助かる命が、助からなくなってしまいます」
 
 そう言われ、イザナギは覚悟を決めた。
 それで二人の間には、言葉はもはや不要と成った。
 イザナギはナイフを手に取ると、それで上手にイザナミのお腹を割いて、赤ん坊を無事に取り出した。
 激痛に耐えながら、イザナミはその子を僅かな間だ抱きしめ、「遠慮は要らないから、私の分まで幸せになりなさいね」と言った。そして、イザナギに楽にして貰った。
 イザナミが動かなくなり、流れ出る血も止まってしまうと、イザナギは赤ん坊を抱え、号泣しながら子供達の待つ表へ向かった。
 入れ変わるようにムラの女達がやって来て、イザナミの亡骸を弔う支度を始めた。
 
 今生の別れに、イザナミはイザナギに言った。
「あなたと一緒になれて幸せでしたよ」
 イザナギも、泣きながらか細い声で言った。
「俺も、お前と一緒になれて幸せだった……」
 そうしてイザナミは、命が失われるまでの間、後は黙って、微笑みを浮かべながらイザナギのことを見つめていた。
 
 後日談。
 十数年後。
 子供達が皆立派に育った。
 中でも、末の子が一番のしっかり者に育った。日常の殆どの場面において、イザナギの仕事はすっかり無くなってしまい、イザナギは、ぼんやりと空を見あげる事が多くなった。そして、そういう時のイザナギは決まって何時も、同じ事を考えたている自分に気がつき、我に返った。
「あいつは、末の子が聖なる太陽だと言ったが、俺にとっては、あいつが太陽だったなぁ。俺は何時も、雲みたいにフワフワしていただけだった……。でも、それで幸せだったなぁ……」
 と。
 それから。
 イザナギは、ムラの誰よりも長生きした。
 生涯、特にこれといって派手な活躍はしなかったけれど、概ね幸福な生涯を送った。
 亡くなったイザナギが、黄泉の国でイザナミと再会出来たか? 再会したとするならば、二人はどんなやり取りをしたか? そして、その後、どのような顛末を辿ったかは、あえてここには記さないでおく。

 
 
 後書きみたいなもの:
 ※純粋な小説という形にしたかったけのだけれど、「縄文人のイザナギ、イザナミ」という状態を説明無しに伝えることがかなり難しいと考え、小説とはほど遠い導入部分となりました。それと、お判りになると思いますが、このイザナミ、イザナギは神武天皇に繋がりません。この物語のイザナミもイザナギも、抽象化された極ありきたりの庶民です。つまり、当時はお産の失敗で今生の別れになった夫と妻がアッチにもコッチにもいて、日本神話とは、そのような悲劇の集合体が抽象化されて物語として伝えられ、縄文文明の根幹となり、やがてそれは神話へと昇華された、という解釈です。この物語のイザナギは「十束剣」を持っていません。人類文明の中に「金属」が登場するのは、これより一万年以上後の話で、当時は「刀」が存在しなかったからです。
 古事記や日本書紀が「イザナギが十束の剣を持っていた」としたのは、神様としての貫禄を付ける為の、演出上の都合で、このモノ語りで必要なのは、イザナミのお腹を切る為のメスの役割を果たす鋭い刃物です。
 そして。
 実は当時の黒曜石の刃物というのは、現在の医療用メスよりも鋭い切れ味を持ちます。

スポンサーリンク

Posted bysusa

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply