勾玉・胎児説

susa

勾玉・胎児説

(イザナギとイザナミの物語の保管記事)

勾玉_s 胎児

 わりと知られている学説に「曲玉は胎児を象ったもの」、という説がある。
 私も、その説を支持する。
 釣手式土器が《出産の無事》で、遮光具式土偶が《子供の健康と健やかな成長》であったなら、その先には、当然のように《生命誕生》、そして《命そのものへの祝福》があって然るべきだからだ。

 では、《生命》を象徴する形とは、いったい何だろう?
 答えは、《胎児》だ。

 高等脊椎動物の発生初期段階は、殆ど同じ経過を辿る。
 生物進化の道程を、母親の胎内で辿っているからだ。だから、人間の子供も、熊の子供も、ネズミの子供も、共通の祖先であった処までの経過は、殆ど同じ。
 生命発生初期の姿がほぼ同じということは、それこそが《生命の象徴》ということになる。

 そして、生命の象徴は輪廻転生の概念と結びつくと、やすやすと「転生」の象徴にも変わるし、当然のように「永遠の命」の象徴にもなるだろう。
 そして、その世界観に基づいた宗教的な存在は、この胎児を象った装飾具によって身を飾り立てたはずである。

 これは、縄文時代は、人の命ががそれだけ貴重だった、という事を表してもいる。

 言葉は悪いが、戦争が出来る時代というのは、「人間が余っている時代」だ。
 裏を返せば、「人間よりも土地や資源や食べものの方が貴重」だから、命を犠牲にしてでも、土地や資源や食べものを奪いとろうとする。
 もし、土地も資源も食べものも豊富に余っていれば、わざわざ戦争など始める必要は無い。

 そして、どうして縄文時代が、そこまで人の命が極端に貴重であったかというと、出産時に命を落とす割合が非常に高かったから、だとしか考えられない。
 人類のお産は、余りにも成功率が低い。
 現代は医療が発達したのでお産で命を落とす割合はかなり低く抑えられているけれど、それ以前の人類は、野生生物としてはあり得ないような失敗率だった。
 ただ、これは似たような事例がある。
 新種を作る為に大型犬と小型犬を掛け合わせたりすると、やはりお産の失敗率は跳ね上がる。

 人類は、ある時期に大型人類種と小型人類種の交配が進み、その結果、「母胎に対して大きすぎる子供」が産まれるようになってしまったのではないかと思う。
 そして、それは数万年掛けて、余りにも極端な例は淘汰されて、少しずつ、お産の失敗率が低下してきた。
 だから、交配が始まった直後の頃のお産の失敗率は凄まじいものがあり、その時期には人口の推移は横ばいか、むしろ減少傾向にあったのではないかと思う。

 縄文人は、お産の失敗という要素だけで人が減って行く時代を特に濃厚に経験したから、生命や女性への信仰が強くなった。


 ところが、時代が進み、やがて金属を利用した農耕が始まると、金属資源が重要になってくる。金属資源は産出箇所が限られているので、「武力」によって奪い合ってでも、それを確保する必要が生じる。

 その結果、「生命」を重視する時代は終わりを告げた。

 それが、縄文時代から弥生時代に掛けて起こった、「文化の変質」の背景ではないかと考える。

 そして、一万年以上、約500~600世代掛けて、はじめはテニソワ人とクロマニヨン人のハイブリッドであった縄文人は種として安定した固有種となり、お産の失敗率はかつてに比べて遙かに低減した。

 哀しいことに、その事が命の価値を逆に低下させてしまった。

 犠牲者を出してでも、金属資源を求める時代となり、社会の中心は女性から男性に変わって行った。
 偉いのは、命を育む女性ではなく、戦争で金属資源を奪い取る、あるいは守り抜く、優秀な軍事的・政治的指導者、ということになっていった。

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Posted bysusa

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