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イザナギとイザナミの物語

susa

 私なりの解釈です。
 様々な紆余曲折の果てに、最後(?)に、この物語に、たどり着きました。
 日本神話の、イザナギとイザナミの物語の別解釈です。


 幾柱かの神々の後に二人揃って産まれてきたイザナギとイザナミは、兄妹に当たるのですが、夫婦になりました。
 そして、奇形の子供が生まれてしまいました。
 お二柱の血が近すぎた為です。

 それで、イザナギは別の相手と再婚をしました。
「出会いからやり直す」というのは、そういう意味です。

 再婚相手の名前は、物語の進行上の都合で、妹と同じイザナミです。
 これは、お話しを出来るだけ簡素化して、ちいさな子供にも理解出来るように、との配慮です。このお話で、一番大切なのは、「ちいさな子供」なので、大人の事情で、グチャグチャさせたくないのです。

 ですが、残念なことに、今度のイザナミは、出産そのものに失敗してしまいました。
 お腹の中の赤ちゃんが、育ちすぎていたのです。
 それでイザナギは、イザナミのお腹を割いて、子供だけ助けました。

 イザナギは、黄泉の国へ行ってイザナミと再会し、だけど、黄泉の国の食べものを食べてしまったイザナミは、黄泉から帰ることは出来ない。
 ですが、赤ん坊は、モノは食べないので、黄泉の国から帰る資格があります。
 それで、イザナギは泣きながら、わめき叫びながら、必死の思いで黄泉の国から帰ってきて、一人で子供を産む(連れ帰ってくる)のです。
 産む、というか、連れて帰ってくるのです。死ぬはずだった赤ん坊を。
 愛する妻のお腹を割いて。

 それが、古事記や日本書紀に書かれているイザナギ・イザナミの物語です。

 ようするに、イザナギとイザナミのモノ語りは、「母親は死んでしまったけれど、子供だけは、助かった。自分の命と引き替えにして、子供を産み落としました」という物語なのです。

 日本神話が作られた時代は、先縄文時代、および、縄文時代早期に当たります。
 その当時の日本人は、お産が失敗に終わりそうな気配があると、母親のお腹を割いて、子供だけでも助ける事にしたのでしょう。二人死ぬより、片方が助かるのであれば、その方が結果として望ましい、と考えたのです。
 ですが、それだと生まれてきた子供は、物心ついてから、きっと自分を責めて苦しむことになります。
「自分が、お母さんを殺したのだ。自分は、産まれてこなければ良かったのだ」
 と、思い悩むことになります。

 だから、イザナギ・イザナミ神話には、そういう子供に対するメッセージが込められています。
 イザナミの死因となったカグツチ(火の神)の首が、たちどころに首を刎ねられて殺されてしまう場面が半分。
 イザナギが、太陽神アマテラスを産む(黄泉から連れ帰る)が、もう半分。

 二つ併せると、「呪われた火の神は殺される。聖なる火である太陽が産まれる」となります。
「あなたは、呪われた母親殺しなんかじゃなん。あなたは、みんなの希望、太陽なのだよ」
 そんな意味になります。

 現実世界の話をしましょう。

 3万年前、姶良カルデラが破局噴火をしました。
 この噴火で、鹿児島湾が、ほぼ現在の輪郭とほぼ同じになりました。
 日本の破局噴火というと、鬼界カルデラが有名ですが、姶良カルデラも破壊力では少しも引けを取りません。
 鬼界カルデラの噴火で西日本に人が住めなくなったのであれば、姶良カルデラの噴火でも、同じように西日本に人は住めなくなったでしょう。そして、大規模災害で特定の地域の人が根こそぎ死んでしまうと、それはボトルネック効果となって、残された人々の遺伝的多様性がますます失われてしまいます。
 地球環境にも、影響が及んだはずです。地上の動物達にとって深刻なのは、植物の生育不良から来る飢餓です。火山の噴火で太陽が覆われ、気温が下がれば、植物の生長は鈍化します。そして、それは人間の暮らしにも、大きな影響を与えます。

 それで、中央アジア地域に暮らしていた人々は、魚の豊富な巨大な淡水湖である、バイカル湖の辺りに押し寄せました。
 けれど、当時の漁業技術では、とてもではありませんが、押し寄せた人々の全てに食料を行き渡らせることなど出来ません。
 食べものを求めてやってきたのに、そこにも、十分な食べものが無かったのです。
 それで、バイカル湖に集まった人々は、新天地を求めて旅に出ることになります。
 そんな彼等が目指した場所の一つが、日本列島。
 一度にやってきた、というワケではないのでしょうが、日本にやって来たのは最終的に7000人規模という、当時としては桁外れの移民があったという試算もあります。
 それを、日本に暮らしていたデニソワ人達は、受け入れたのです。

 イザナギの名前を後ろから読むと、「ギナザイ(来なさい)」になります。
 きっと、バイカル湖から先遣隊が派遣され、デニソワ人と遭遇したのでしょう。そして、デニソワ人は彼等を受け入れることに決めたのでしょう。
 そうでなければ、7000という数の人が、バイカル湖から歩いて来ようなどとは、しないでしょう。移住は戦争とは違います。おそらくは、女性も子供も居たのです。争いが待っている場所に、そんな風に、女性や子供を引き連れてゆくなんて事は、ちょっと、考えられません。

 イザナギとイザナミの出会いは二回ありました。
 一度目の出会いは、失敗でした。

 上手くこの世に産まれて来れず、流されてしまった子供。
 子供を産む為に、犠牲となってしまった女性。
 イザナギの名前(きなさい)には、そういう人々に、「生まれ変わって、また、この世に来なさい」という意味もあるのでしょう。

 だとすると、そういう思想を持った人々が、どこからとも無くひょっこりと現れた人々を、よく判らない相手だからという理由だけで、問答無用で追い返したり、戦争を始めたりするとは考えにくいのです。

「死んだ人々が、黄泉の国から帰ってきた」
 というような世界観で、来訪者を受け止めたのではないでしょうか?

 特に、バイカル湖沿岸からの大量移民が、「姶良カルデラの噴火で、大勢の命が失われた直後」というシチュエーションを考えてみると、彼等は、クロマニヨン人達が、姶良カルデラで死んでしまった人々の生まれ変わり、と受け止めたのではないかと、思えます。
 縄文文明というと、土偶、縄文式土器、曲玉などがあげられます。
 土偶は、基本的に全て妊娠中の女性を形取っています。
 縄文の人々は、なによりもお産を尊い存在であると考えたのです。

 考えてみて下さい。
 出産をすると、かなり高い確率で、自分は命を落とすのです。お腹を切られて死ぬのです。
 それを、子供の頃から知っていたら、女の子は、出産が恐ろしくて、結婚など、絶対にしたくないと考えるでしょう。おそらく、そういう人も大勢いたのです。
 でも、子供を産もうとする女性もいた。
 縄文文化の根底にあったのは、そういう女性、命に対する、尊敬と感謝ではないでしょうか?

 縄文土偶の中で、最も眼を引くのは、遮光式土器です。
 宇宙人とも揶揄される、不思議な土偶です。
 これは、死産や流産などによって命を落とした、赤ん坊を抽象化したものか、その象徴となった神様だと思われます。つまり、「ヒルコ」です。

 縄文人は、「眼」と「芽」を掛けて、「眼があれば、芽が出てくる(産まれてくる)」と考えたようです。だから、眼が異様に大きくデフォルメされています。そして、全ての土偶は、眼を閉じています。芽が出てしまった種を地中に埋めても、枯れてしまうだけです。育つのは、まだ芽が出ていないタネです。ですから、土偶は、眼が大きく、そして閉じているのです。
 縄文土器の中に、釣手土器と呼ばれるものがあります。
 器なのですが、女性の顔があります。
 正面から見ると、両脇に五つの丸い突起があります。足の指です。
 真ん中に、丸く穴が開いています。おそらくは女性器です。
 器の中に、火を焚いた時に付着した煤が残っていたので、中で火を灯したのでしょう。すると、真ん中から炎が見えます。
 火の神、カグツチです。
 つまり、釣手式土器は、イザナミです。
 裏を返すと、蛇のような異形の顔があり、のたうち回る蛇の造形があります。
 黄泉の国でのイザナミの姿です。
 出産の際には、こい釣手式土器と遮光式土器の前に人々が集まって、お産の無事を祈ったのかもしれません。

 曲玉は、独特の形をしています。おそらく、胎児を抽象化したものなのでしょう。

 縄文文明が、出産や子供に対して、切実に想いを寄せていたことが伺えます。

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Posted bysusa

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